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来賓室《 矢内由美子さんのブータン・ダイアリー 》

 更新日 2012年6月5日

 

 

ブータン・ダイアリー No.21

2012年6月5日「ブータンでの美術教育・パロ芸術祭」

 

こんにちは。クズザンポラー。

久しぶりの更新となりました。

今春の4月と5月に、日本からの青年海外協力隊とブータン教育省が協力をして、パロの町で芸術祭が開催されました。

青年海外協力隊員(JOCV)の日本人美術教師の活動報告として、実際に現場で指導しているブータンの児童達の作品の他、自国・海外のモダンアーティストの

作品の展示や販売等を通じ、ブータンの人および海外からの観光客にもブータンの美術を広めることを目的として開かれました。

首都ブータンには、伝統美術の専門学校・ゾーリンチュスム(Zoring Chuum)があり、特に13の伝統芸術と工芸が重視されていて、

10〜20代の若い学生達が約4〜5年かけて学んでいます。

ブータンの憲法第四条には「文化」が明記され、未来に伝統文化を繋げていくことを力強く掲げていますが、ここの学生達はその担い手でもあります。

ただし、専門学校以外の一般の学校では「美術」はまだ教科としては導入されておらず、2013年から新規教科として設置されることが検討されています。

ブータンには現在、JOCVから合計4名の日本人女性が美術教師およびカリキュラム作成に関わっていらっしゃいます。

 

こちらは、ドゥゲル聾学校の生徒の作品です。

                    

以前に『ブータン・ダイアリー No.4(2010年8月13日)「Drugyel lower secondary school」』でご紹介した子供達の作品です。

ブータンでは美術がまだ正式な教科となっていないこともあり、先生方も試行錯誤をしながら教えている状況だそうです。

日本の学校では、簡単に手に入る教材も、ブータンでは予算的にも物質的にも簡単ではありません。

私達の職場ウマパロでも何か協力できることがないかを考え、先生方と相談してリクエストされた廃材集めを手伝っています。

トイレットペーパーの芯、牛乳パック、空き缶、ワインのコルク、段ボールなど、美術教育に使えそうなものを集め、定期的にお渡ししています。

ブータンではこれらの廃材自体が手に入らなかったり、数が揃わなかったり、素材そのものの強度が足りないことが多いことが悩みだそうです。

特にこの聾唖学校や地方の学校では寄宿している子供達も多く、各自で用意をすることは難しいのが現状です。

私の職場のように企業単位で協力できれば数も種類も揃いやすく、また廃棄になるものが材料になるのであれば双方にとって喜ばしいことです。

カラフルな色合いのちぎり絵や、ペーパーマッシュのようにして作ったユニークな形のお皿、コルクやトイレットペーパーの芯を使って立体的に森をデザインしたものなど、見ているだけで楽しくなるような作品が目立ちました。

こちらは、ウォンディポダンとパロの学校から伸び伸びとした表現の作品。

絵と「自分のなりたいこと」を描いた作品からは、ブータンの子供達らしさが感じ取れました。

「私は龍になって、空を飛びたい」

「僕は王様になって、私達の国の良き人になりたい。大きなお寺を建てて、良いお嫁さんと結婚したい」

「もし私が牛だったら、たくさん草を食べて、チーズとバターを与えたい。そして友達と遊びたい」

開催期間中は、パロの町の中に、世界から集まった600枚以上の写真が掲げられました。

「幸せの虹」をイメージして、世界の各それぞれの人達が感じた「幸せの瞬間」を1枚の写真に収めたものです。

パロの町を歩く地元の人達も、一枚一枚真剣に丁寧に眺めていた姿が印象的でした。

                    

この学芸祭は「楽芸祭」と名付けられ、ブータンでまだなかなかモダンアートになじみがない人達や、アーティスト本人にも、

誰もが楽しんでアートを感じることが目的とされていました。

パロの町では、多くの人が実際に写真や作品を見て笑顔になる瞬間を見かけ、楽しく芸術に触れている姿がありました。

これからも、ブータンらしい感性のアートに出会えることを楽しみにしています。

 

 

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ブータン・ダイアリー No.20

2012年3月6日「ドゥンセ・リンポチェとのお別れ」

 

こんにちは。クズザンポラー。

3月3日に、高僧・故ドゥンセ・リンポチェ(Dungse Thinley Norbu Rinpoche/1931-2011)の葬儀がパロにて行われました。

ドゥンセ・リンポチェはチベットで生まれたニンマ派の高僧であり、多くの人々の信仰を集め、またティンプーのメモリアル・チョルテンのアーキテクトとしても活躍されました。

チベットから亡命後はブータンでも過ごされ、晩年はネパールとアメリカで教えられることが多く、昨年12月27日にアメリカで逝去されました。

ご本人が残された言葉通り、葬儀はブータンで行われることになりました。

 

パロの町からタクツァン僧院へ向かう途中の小高い丘にあるDagophu村は、ちょうとドゥック航空が着陸のために旋回するエリアですが、

ここにドゥンセ・リンポチェのために新しくチョルテン(仏塔)が作られ、暦のよき日に火葬されました。

        

火葬の3日前から毎日法要が行われ、当日は早朝4時からチベタンホルンの音が響きました。

1万5千人を超える人々がブータン各地から集い、首相や閣僚、王室、欧米諸国からの学生も葬儀に参列しました。

人々はカムニ・ラチュを纏い正装し、僧侶も多く参列し、会場内には入りきりません。

 

ブータンのお葬式は著名人だけに関わらず、一般の家庭においても盛大に行われ、数十人の僧侶が読経・法要することも珍しくはありません。

それは知っていたつもりでしたが、今回の規模の大きさ、人々の信仰の篤さを目の当たりにすると驚かずにはいられません。

私は、ドゥンセ・リンポチェの生前に、通りかかった東ブータンのランジュン近郊にて祝福をしていただいたことがあります。

その時も村人が総出で道路に出て、リンポチェをお迎えをするために待つ人の多さに驚きました。

遠くの山から何日もかけて家族全員で道路まで歩き、リンポチェを待っていた人々の姿にも心打たれましたが、一人ずつ丁寧に祝福を授けるリンポチェの姿も印象的でした。

 

リンポチェの体がチョルテンの中で燃え煙となるにつれ、人々はカダルの白い布に祈り、祝福を願い仏塔に向かい投げます。

そして、煙は集った人々とパロの谷を包み、ブータンだけでなく遠く離れた土地へものぼっていきました。

 

ブータンの友人は言いました。

「今日は、私にとってはドゥンセ・リンポチェの最後の授業(教え)の日です。またリンポチェが輪廻され戻られた時には、また新たに教えをいただきたいです」。

このチョルテン(仏塔)は、緩やかに広がるパロの谷を見渡し、またタクツァン僧院が臨める場所に建てられました。

ここで一人静かにグル・リンポチェに問い、そして人々に教えを説いている姿を見たような気がしました。

 

 註:葬儀の写真は許可を得て撮影されたものです。 

 

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ブータン・ダイアリー No.19

2012年1月2日「初雪とロレ」

 

新年明けましておめでとうございます。

今年は辰年ですが、ブータンでは、暦にある5要素と性別を組み合わせるため、今年はWater Male Dragon Yearです。

 

今朝は、今シーズン初の初雪がパロ谷にふりました。昨年は、1月1日の元日に初雪となりましたが、今年は1日遅れで雪が降り、毎年1月前後に初雪を迎えています。

 

そして、本日はNyeloと呼ばれる祝日でした。この祝日を境に、日中の陽の長さが日没後より長くなるとブータン歴では計算されています。

話を聞いてみると、この日はブータンの人々は「太陽に対しておかえりなさい」という願いを込めているように感じました。

日本にも冬至の際にゆず湯やかぼちゃを食べる習慣がありますが、パロにもこの日に行う習慣があります。

 

子供たちが地域ごとに集まり、同地域の各家庭をまわり、歌を歌います。

この歌は「ロレ」と呼ばれ、一年の幸福をこめたものです。

歌詞の内容は、「牛小屋の牛が長生きして、たくさんお乳がでますように」「鳥小屋の鳥がたくさん卵を産みますように」「田んぼのお米がたくさん実りますように」など、一年の豊作と幸福を願い、子供たちが歌ってくれます。

そして、訪問された側の家庭は、子供にお礼としてお米や卵、唐辛子やお菓子、お金などを渡します。

私はちょうどお昼ご飯を食べている時でしたので、一緒にご飯を食べてお菓子を渡しました。

明日は、このお裾分けを持って、子供たちはピクニックに出かけるそうです。

子供たちが一生懸命に「ロレ」を歌う姿が晴れやかで、またそれを見守る地域の人々の優しいまなざしは、ブータンらしい穏やかであたたかい風景でした。

 

一年の平安とより多くの幸せを、雷龍の国ブータンよりお祈り申し上げます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

               

 

 

 

山本:ハのお正月でも、子供達が「ロレ」と謡ながら各家庭を訪問し、お菓子やお小遣いをプレゼントされていました。

 

 

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ブータン・ダイアリー No.18 (2011年12月6日)

ブータンの国内線

 

こんにちは。クズザンポラー。

みなさま、いかがお過ごしですか?

師走となり、このパロ谷でも少しずつ気温が下がりはじめ、朝は、農地に霜がおりながらも強い日差しに溶けてゆく風景が美しい今日この頃です。

この季節は温暖なプナカや東ブータンなど標高が2,000mより下がる場所ではポインセチアやヒマラヤ桜が咲き、峠ドチュ・ラでは晴天率が高くなり、

天気が良ければ美しい山々が姿を現し、様々なブータンの表情を楽しむことができます。

 

ここ数日、パロ谷にも今まであまり耳にしなかったエンジン音が響きました。

ブータン初の国内線のフライト飛行が繰り返されているためです。

昨日、ブータン国営ドゥック航空以外初めて民間会社が航空産業に参入したタシエアーの国内線の料金が発表されました

(詳しくはこちら http://www.kuenselonline.com/2011/?p=22394)。

 

飛行機はThe Pilatus PC12 というモデルでスイス製のプロペラ機で、8人乗りを予定しています。

これにより、中央ブータン・ブムタンまでは片道USD250、東ブータン・ヨンプラまでは片道USD350で数十分のフライトで、いづれもパロ発着です。

また小型フライトの利点を生かし、ブータンヒマラヤをのぞむチョモラリ・ジチュタゲやガンカルペンスムに迫るマウンテンフライトも可能です。

 

まだ、国内空港自体に整備が必要ですが、2012年には国内線で旅行をする観光も開始されます。

国内線を利用すれば、高みからの絶景が楽しめ、そして何より時間が短縮され便利になりますが、その反面、美しい山々と里、人々の暮らしを眺めつつ、

多くの峠を「ラゲロ―」と幸運を祈りながら越えて行く醍醐味も捨てがたいですね。

 

 

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ブータン・ダイアリー No.17 (2011年10月19日)

10月19日 ロイヤルウェディング

こんにちは。クズザンポラー。

 

日本でも報道されているブータンのロイヤルウェディングですが、13日にプナカにて結婚式が行われた後にも、15日にはティンプーのチャンリミタン・スタジアム、

本日19日にはパロのウゲン・ペルリ宮殿の敷地内でお祝いの会が開かれ、第五代国王とお妃様となられたアジ・ジツェン・ペマ・ウォンチュック王妃がいらっしゃいました。

日本では恐らく、13日と15日の様子がとりわけ多く報道されたのではないでしょうか。

15日のチャンリミタン・スタジアムは、王室、来賓、政治関係者、メディアなどを問わずに一般の人々も入場できる日であったため、本当に多くの人が訪れました。

スタジアムは改修を重ねて現在では2万7千人前後の観客を収容できますが、この日は朝午前6時半の時点で観客席への門が閉まってしまったほどの混雑ぶりでした。

そのため、早朝に来たのにも関わらず入場できずに諦めて家に帰り、BBS(ブータン国営放送)でこの日の様子を見た方も多かったようです。

ニュースでも、遠くゲレフから2日間かけてバスを乗り継いで来たおじいさんが会場に入れないと嘆いている姿がありました。

早い人は深夜2時から並び入場したほどです。午後にはこの混雑も多少改善されましたが、改めてブータン王室の人気ぶりを感じました。

この日は、ブータンで最大のトンドルの御開帳、国王が王妃に口づけをするシーン、首相や大臣の踊りに急遽国王も飛び入りで参加され、

最後には招待を受けた来賓を含め、みんなで輪になってタシ・レ・ベを踊って終わりました。

その後もロイヤルウエディングは続き、16日にはティンプーにあるドルガー寺院にてヒンドゥー式の結婚式も挙げられました。

衣装はブータンの民族衣装キラとゴでしたが、祭司がラーマヤーナの経典と、ヴィシュヌとラクシュミ―の彫像を用い祈りを捧げ、

祝福を受けた花輪をお二人がお互いに交換しました。

   

 

本日19日はパロのウゲン・ペルリ宮殿内で、パロの人々による歓迎とお祝いの会が朝から開催されました。

通常は、10月半ばにはパロでは田んぼの稲刈りが真最中のシーズンなのですが、今年はまだ始まっていません。

それは、パロの人々がロイヤルウェディングにお二人がいらっしゃった際に、この美しい田の風景を見ていただきたいという想いがあるからです。

「本当に稲刈りしなくていいの?」と農家のおじさんにたずねても、「是非、この黄金の風景を見ていただきたいからもう少し待つのだよ」と答えくれました。

そんな気持ちが通じたのか、本日はここ一番の晴天でした。パロ・ツェチュの時でさえ、歩行者天国にはならないメーンストリートも、

本日は車両の入場不可で、人々が悠々とお二人の看板や美しく装飾された町並みを歩いている姿ものどかな風景でした。

残念なことに、会場でダンスを披露する予定であったドゥゲル・ハイヤーセカンダリースクールの学生を乗せた車が早朝事故にあい、死傷者が出てしまいました。

その後、国王自らお見舞いに病院を訪れていらっしゃいました。

これからのブータンは、幸せも困難も喜びも悲しみも全てを含め、多くの局面を迎えていくでしょうが、

お二人の姿はさらにゆっくりと力強く歩みを進めていける力を国民に与えてくれたように感じました。

 

 

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ブータン・ダイアリー No.16 (2011年9月19日)

 2011年9月19日 昨日の地震について 

こんにちは。クズザンポラー。

昨日、9月18日のブータン時間の午後6時半ごろに比較的大きな地震があり、震源地はブータンにも近い隣国インドのシッキム州で、M6.9でした。 

一昨日は以前にご紹介したビシュカルマ・プジャでした(No.5 (2010年9月18日)「Vishwakarma Puja」)。現在、都市部の建設ラッシュのために

インドからの労働者の方が多く、現場は17日と18日の2日間が祝休日で、ブータン人も含めインドのお祭りのような雰囲気で包まれていました。 

地震当時、私はその日の夕方では最も賑わっていたティンプー・チャンリミタンでの各国物産展(トレードショー)にいましたが、その場にいた数百人の人々も動揺し、

一時騒然としました。日本に比べ、地震の揺れを体験したことが無い人が多いため、即時に地震と判断できる人はなかなかいません。 

その後、パロに戻りましたが、ティンプー/パロ間で小さな土砂崩れが多数(特にチュゾム/パロ間)ありましたが、すぐに復旧できる程度です。

最近は長雨が降っていませんでしたが、17日から18日にかけて24時間以上、雨が降り続け、雲も霧もあつくドゥック航空も約5時間の遅延が生じていたほどです。

そのため土砂崩れが起きやすくなり、川も増水していたため、人々の不安も強くなっていました。 

パロ近郊のシャバ地区は停電が続き、電話も混線し、多くの人が雨の中、不安で家の外に出ている姿が見られました。

3時間後に再度大きな揺れが来るという噂が混線中の携帯電話のメールを通して広がり、2階以上に住んでいる人は下の階に布団を持って移ったり、

オムマニぺメフムと唱えながらみんなで団をとる姿がありました。

ブータン内ではプンツォリンの方がパロ・ティンプーよりも大きな影響をうけたようです。

震源地のシッキムも心配です。みなさまも、十分ご注意下さい。 

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ペットボトルに関する続報を当事者から戴きましたのでをご覧ください。 

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ブータン・ダイアリー No.15 (2011年6月25日)

こんにちは。クズザンポラー。

今回は、ブータンで販売されているペットボトルのお水のお話です。

 

ブータンは氷河の雪解け水、谷を流れる河川が豊富で、国民一人当たりの淡水資源が最も豊富な国トップ10に入りアイスランド、ガイアナ、スリナム、コンゴ共和国に次いで世界で5番目134,09兆トンに当たります。

この数字はヒマラヤの豊かな水源と人口の少なさとも関係していますが、農業用水や工業用水、飲料水としてだけでなく、電気の供給と言う点でも水は重要な役割を果たしています。

実際に国内消費電気量の9割強を急峻な谷の地形を利用した水力発電によるものです。

ただし、他国同様、淡水資源は豊富でも飲料水として消費者に供給する手段が不足していたり、水そのものの質が飲料水には向きにくいというような問題があります。

 

ブータン国内では飲料水は不足がちで、水道が整備されている都市部でも水道水を直接飲む人は少なく、フィルターを使用したり煮沸したり、また観光客の方を中心にペットボトルで販売されているスプリングウォーターを飲んでいます。

ペットボトルのパッケージ名としてはRoyal BhutanやBhutan AquaやHimalayan Dew-Kurje Drubchu(クジェラカンの聖水)などがあり、

ブムタンの湧水を利用したものが多いですが、4月後半からパッケージに「Bhutan for Japan」とデザインされたものが販売され始めました。

これはクエンセルなどブータン国内の企業が集い企画したもので、ボトルのラベルには2011年4月11日時点での東日本大震災の被害状況、地震発生時刻、規模などと、売上利益は日本赤十字に寄付されると記載があります。

        

 

日本はブータンへの技術支援を各分野で行っていますが、上下水道の整備や一部の水力発電も支えています。

このペットボトルを見ると、ブータンの人々と日本の長い友好の繋がりが生み出したものだなぁと感じます。

日本に比べ地震の発生率は低く、津波を実感することがないブータンの人々も、パッケージに記された被害の大きさを改めて認識する人が多く、今もなおヒマラヤの小さな国からも気にかけてくれる方がたくさんいます。

 

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ブータン・ダイアリー No.14 (2011年6月20日)

「今年もブルーポピーが満開です」

 

こんにちは。クズザンポラー。

今年も雨の季節になり、今の時期はパロからハに向かう途中の峠チェレラで、ブルーポピーが満開です。

チョモラリトレッキングやドゥックパストレッキングでも、ブルーポピーの群生がトレッカー達を楽しませてくれています。

この透き通るような儚い青の花びらからは可憐さをイメージさせますが、背丈は高くしっかりしているため、全体を見ると堂々たる佇まいです。

雨に濡れる姿もさらに透明感が増し、風情のある美しさが漂います。その凛とした姿に励まされるような気持ちになりました。

幻の花と称されるブルーポピーですが、この力強い姿を、辛いことが続きながらも耐えていらしゃる多くの日本の方々にお届けしたいと思いました。 

 

       

 

             

 

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 ブータンダイヤリー No.13(2011年5月22日) 

 

こんにちは。クズザンポラー。

みなさまももうすでにBニュースでご存知のように、ブータン第五代国王陛下がご成婚されることを5月20日の国会開催のスピーチの際に報告されました。

ブータン国内は祝賀のお祝いムードに包まれています。

 

翌日の新聞 business bhutan の一面には、未来のお妃さまになるジツェン・ペマさんが表紙の一面を飾り、

折り込みチラシにはお二人のお写真と、裏面には国王がスピーチされた内容が掲載されました。

 

報道を抜粋すると、1990年6月4日にティンプーホスピタルで誕生されたデツェンさんは今年で21歳とお若く、現在イギリスに留学中です。

5人兄妹のうちの次女であり、お父様は以前はブータン国営航空のドゥック航空のブータン人パイロット1期生、現在はバーレーンエアウェイズに勤務されています。

お母様はブムタン谷の名家のご出身です。

大学では国際関係と美術史を専攻されています。

ブータンでの学生時代にはバスケットボールのキャプテンも務め、現在でもティンプーのトーナメントリーグにたまに参加されることもあるそうです。

留学後はロンドンにある美術館によく足を運び、特にルネサンス時代と現代美術にご興味があるとのこと。

また、最近では第五代国王との共通の趣味は「写真」だそうです。

結婚式は今年の10月の予定で、最初はプナカの訪問から始まり、その後、各地を回るのではないかと言われています。

ジツェンさんは、結婚式の時には誕生年の色であるキラを着たい、とおっしゃっているそうです。

 

ここまでがbusiness bhutanの簡単な抜粋です。

 

結婚式に関してはまだ未確定な部分も多く現在では予測も含まれていますが、早く公式に発表されるといいですね。

才色兼備で運動神経も抜群のジツェンさん、現国王と共にまた新しいブータンの歴史を築いていかれることでしょう。

 

 

個人的には、東日本大震災が発生以来、実家は警戒区となり戻ることができず日本からは悲しい知らせが多い日々でしたが、久々に届いた嬉しいニュースでした。

 

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国王陛下御臨席のプジャの内部写真は こちら に(クェンセル) 

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 ブータンダイヤリー No.12(2011年3月14日) 

「東日本大地震のプジャ」

  

 

こんにちは。

クズザンポラ―。

日本の東日本大地震を大変心配しております。

 

3月13日の朝、ティンプーのタシチョ・ゾンで千個のバターランプを灯す追悼のプジャが行われました。

ブータン政府および国王は、地震発生後2日目に国王が、3日目には首相及び官僚達がプジャを行うという異例のスピードと待遇でした。

 

タシチョ・ゾンの堂内に座り、15名以上の僧が読経し、そしてバターランプを一緒に灯しました。

参加した方は主に在留日本人の方で、その他にブータンの方もいらしゃいましたが、総勢、100名は超えていたと思います。

今まで、こんな切実な気持ちで読経を聞いたことがありませんでした。

そして、こんな立派なタシチョ・ゾンの堂内で私達のため、日本のためにプジャを行ってもらえることにも驚き、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

読経後、今回招いて下さったブータンの方々と一人ひとり、在留日本人の私達が握手をしました。

首相、官房長官、ほとんどの省の大臣や次官、国連、ユニセフ、WHO、世界銀行の代表など、ブータン国の官僚や組織の代表が私達の手を握り、

お悔やみや励ましの言葉をそれぞれかけてくだいました。

 

ブータンがいかに日本をパートナーとして大事にしてくれているか、それだけでなく、心を痛め困っている人に対しての思いやりと慈悲を感じました。

被災されている方、遠く離れたヒマラヤからも多くの人達が祈っています。

祈りが伝わりますように。

 

 

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ブータン・ダイアリー No.11 (2011年2月11日)

2011年2月11日「ブッダエアー」

 

こんにちは。クズザンポラー。

2月に入り、少しずつ寒さが和らいでいるパロ谷です。

最高気温は17度程度、最低気温は2度程度となり、ボケの花も咲き始めました。

今週は古都プナカでは、歴史祭ドムチェが始まり、週末からは続いてプナカ・ツェチュ祭が始まります。

  

さて、来月中旬に行われる春のパロ・ツェチュ祭に向けて、ブータンへのフライトが大変混み合う季節を迎えます。

そんな折、昨年8月より運航が開始されたブータンへのフライトでは外国初となる民間航空会社・ブッダエアーが、3月19日以降の運航が中止となることが発表されました。

運航当初はカトマンズ/パロ間を週2便で繋ぎ、2012年までに10万人の搭乗者を目指すという大きな目標を掲げ、乗客数も好調で数カ月後には週4便に増便され、

順風満帆でした。外国からの観光客にも、ヒマラヤを望む迫力あるフライトが人気を集めていました。

  

18人乗りの小さな機材ですが座席のクラスを3つに分けて料金体系を組むなど、ドゥック航空とは違なるコンセプトもあり、

外国人旅行者だけでなくブータンからの巡礼者も多く利用していました。

しかし、これが収益にメリット・デメリットの双方を持ち合わせていたことやシーズンによる乗客数の変動、税制の問題が重なり、

利益が思うようにあげられなかったと報道されています。

また、12月に起きたネパール国内線の墜落事故でブータン人乗客が亡くなられたことが強くイメージに残り、別の航空会社の事故であったのにも関わらず、

ブータン国内では同じように記憶する人が多かったことが大きな影響となったようです。

  

昨年の8月23日に開始以来、既に100を超えるフライトが運航されていますが、来月にはその小さな機材が唸るように加速し谷間を飛び立って行く姿が見られなくなるのは残念です。

運航再開の予定はまだたっていなく、運航開始から中止まで7カ月という間でしたが、ブータンへの空の旅が始まった29年間に及ぶ歴史の中に、

初めての外国航空会社の参入を果たしたことは、大きな意味を残したのではないでしょうか。

また、近いうちに再開できるよう頑張って欲しいと思います。

 

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ブータン・ダイアリー No.10 (2011年1月1日)

2011年1月1日「元日の初雪」

新年明けましておめでとうございます。

今年はうさぎ年ですが、ブータンでも同じく十二支があります。

少し複雑で、ブータン暦に書かれている5要素と性別を組み合わせます。

今年はIron Female Rabbit Yearです。

ブータンでは、干支に性別がありMaleとFemaleが毎年入れ替わり、5要素は2年ごとに変わります。

宗教行事等はブータン歴を利用しているため、大みそかや元日には特に大きな催し物があるわけではありませんが、静かに新年を迎えました。

 

      

さて、本日、パロでは初雪が降り、谷を白く美しく染めています。

昨年もちょうど同じころ、初雪が降りましたが、去年の方が一夜で一気に降った大雪でしが、今年の雪は、少しずつ長く降るような気配があります。

ブータンでは、初雪が降った日は、官公庁や会社などの各機関、学校などが休みになるという習慣があります。

今日は、パロの国立博物館もお休みです。

突然休みになるので、観光客やお仕事関係の方は困ることもあるかと思いますが、初雪の日は家で暖かく過ごすというのも良い習慣ですね。

 

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

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ブータン・ダイアリー No.9 (2010年12月19日)

12月18日 悲報

 

こんにちは。

クズザンポラー。

日本ではあまりニュースになってはいないかもしれませんが、今回は悲報をお伝えしなくてはいけません。

地元紙クエンセルによると、12月16日の夕方、ネパールにて国内線の飛行機事故があり、22名の乗客中、18名がブータン人でした。

彼らはネパール南部のDaphu Maratikaにあるグル・リンポチェが瞑想したとされる洞窟へ巡礼を終え、飛行時間約32分のフライトでカトマンズへ戻る途中、離陸後13分後に消息が不明となりました。

乗客のほとんどが親類や友人であり、フライトをチャーターしたようです。

明朝17日に昨日からの救援活動の結果、墜落場所が判明しましたが生存者はいませんでした。

現在まだ調査中ですが、飛行機の左翼の先が山にあたり墜落したと推測され、遺体は約9,000フィート(2,743m)の場所で発見されています。

ブータンからは17日に閣僚を含む11人のチームが編成され、カトマンズへ向かい、また全ての遺体はカトマンズへ搬送されました。

 

本日、18日昼、カトマンズからの特別チャーターフライトでご遺体が到着予定と報道され、パロの空港は悲しみにくれる人々が集まりました。

関係者だけではなく、近郊に住む人々も何もせずにはいられないと、空港へ迎えに行ったり、近くのお寺に灯明やお線香をあげていました。

残念ながらネパール内で全員の搬送準備が整わず、特別フライトは明日に延期されることになりました。

 

ティンプーのタシチョ・ゾンでは1,000個のバターランプが用意され、到着後はジェイケンポによる葬儀が予定されています。

この悲報は国民に強い衝撃をあたえ、現在は深い悲しみに包まれています。

 

このような事故は、世界中どこで起きたとしても、心が痛み、悲しく、いたたまれません。

ご冥福をお祈りしたいと思います。

 

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ブータン・ダイアリー No.8 (2010年11月14日)

フォブジカ谷のトゥントゥン

 

ご存知の方も多いと思いますが、今回はフォブジカ谷とオグロヅルのお話です。

絶滅危惧種オグロヅル(Black Necked Crane)の保護のため、RSPN(Royal Society of Protection of Nature・王立自然保護協会)が活躍しています。

現在の第五代国王が皇太子時代にスポンサーとなり国内発のNGOとして設立され、現在は広く自然保護や環境運動を行っています。

海外からの専門家もRSPNに加わり、日本からも青年海外協力隊員の他、インターンの学生さんも数名所属されています。

 

オグロヅルは10月〜3月の間に越冬のためフォブジカ谷に300羽ほど飛来し、数は年々増えていると嬉しいニュースもあります。

オグロヅルが谷に来る時、仏教の教えの通り右回りに舞い降りることが縁起が良いと、村人は毎年迎えてきました。地元の人たちは、トゥントゥンと呼びます。

    

11月11日は第四代国王の誕生日でもあり、毎年この時期にフォブジカ谷でBlack Necked Craneフェスティバルが開催されます。

パロからは片道8時間のドライブです(道中2か所で現在道路工事中)。

このお祭りはツェチュ祭のような宗教行事としての法要の他、フォブジカ谷の村民達に自然保護を伝えたり、RSPNの活動を紹介するプログラムが組みこまれ、少し現代的にアレンジされています。

子供達が鶴のダンスをしたり、ゴミを捨てない、拾うメッセージを発信したり、様々な趣向を凝らしています。

お酒を飲んでタバコを吸い、ゴミを散らかす若者を演じ、そこにラクシャ・マンチャムの黒魔が登場し成敗されるシーンなどもあり、最近の事情と伝統的な宗教感を活かしたものもあります。

谷ではテレビを見ている人は少なく、ラジオを聞く人も限られているので、このようなお祭りの際にあらゆる世代にむけてわかりやすい演目で環境保護のメッセージを伝える活動は有効的です。

     

フォブジカ谷では、10年ほど前からソーラーパネルを使用し、制限はありますが電気が使えるようになりました。

この設置もRSPNの協力や政府からの補助価格での提供、分割4年間払いといったサポートがありました。

今年から、地中内にケーブル埋める方法と頭上を通す送電線を組み合わせた工事が始まっています。

ソーラーよりも強力で安定した電力供給をはかり、薪の使用量を減らすことも目的です。

工事現場も見せてもらいましたが、予定からは遅れながらも工事はすすみ、年内にはガンテ・ゴンパ周辺では電気の供給が始まりそうです。

 

村のお父さんやお母さんに聞くと、ソーラーパネルが設置されてからは「日が暮れてからも家で作業ができるから嬉しい、ラジオも聞けるようになった」と喜んでいました。

『もっと電気が来るようになったら、何をしたい』と聞いてみましたが、「テレビを見たいとも今は思わないし、携帯電話が使えるようになってからは遠くに暮らす孫の声も聞けるから、十分。

でも充電できる時間が増えたら、もっと孫と電話ができるね」と答えてくれました。

現在の電力は、数部屋を照らす電球が1つあるだけで、部屋の移動も懐中電灯が必要です。「鶴のために生活が犠牲にならなくてはいけない」という認識ではなく、ずっと昔からトゥントゥンと一緒に暮らしてきたからこれからもそうありたいという、素朴だけれども力強い村人たちの優しさがあり、また必要以上に物質を要求せずに生活を楽しむ姿はまさにブータン本来の素晴らしさを伝えてくれます。

 

これから、ソーラーパネルだけでなく電気の送電が始まれば、村の人々の生活も少し楽になると思います。

フォブジカ谷の人々だけに不便を強いらず政府もサポートをし、同時に鶴の保護を保つ活動は、今後より注目されて欲しいと願います。

早朝、村人と一緒に見たトゥントゥンは合計15羽、夫婦もいれば子連れもいました。

朝日が昇る7時半すぎ、何羽か鳴き声をあげましたが、鶴自身の喜びと谷に幸せを運ぶ声に聞こえました。

 

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ブータン・ダイアリー No.7 (2010年10月26日)

「献血キャンペーン」

こんにちは。10月23日に、Paro teacher training Instituteにて献血キャンペーンが催されました。

ここは、将来、教員を目指す人々のトレーニングスクールで、学生達は日本の大学生とほぼ同年代で若い人々が集います。

私の職場ウマパロ(http://www.uma.paro.como.bz/)にも近く、地域の人たちにもできるだけ貢献しようと今回このキャンペーンに協力しました。

ウマパロは、寝具の貸出、献血後の飲み物とサンドウィッチ&ケーキを150名分、20名程度の献血者の協力をしました。

そのお礼にと学生達が、記念に手作りの看板を作ってくれました。

 

       

ブータンには、ICUや透析などの設備を備えた病院は首都ティンプーのジグミ ドルジ ウォンチュック国立総合病院がありますが、まだ総合病院は少ないこともあり、

インドやバンコクで手術を受ける患者も多いです。

そのことも関係しているためか、まだまだブータンでは、献血はあまり浸透していなく、間違った情報やイメージを持っている方も少なくありません。

保健省はわかりやすいパンフレットを作成して配布していますが、それだけではなく血液不足を解消し、

そして正しい情報を持ってもらうためにこのようなキャンペーンを定期的に行っています。

 

まずはカウンターで問診票と献血についてのパンフレットを受け取り、体重と血圧を測り、空の血液パックを受け取って順番を待ちます。

看護を担当するために、パロとティンプーの病院から10名以上の看護師達が担当していました。

私は、血を採取すると体力が落ちる、貧血になる等のイメージが強く、あまり人が集まらないのではないかと心配していましたが、

『誰か困っている人がいれば助ける』という慈む気持ちを人一倍持つ仏教徒・ブータン人ということもあり、予想以上の反響がありました。

最終的には、6時間で合計140人分の血液が集まりました。

保健省の作成したパンフレットには『献血をするのに、言い訳はいらない』と書かれています。

将来の教員の卵である学生達が、行列を作って積極的に献血に参加する姿は、とても頼もしく感じました。

 

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ブータン・ダイアリー No.6 (2010年10月5日)

「チェレ・ラの秋咲きリンドウ」

 

こんにちは。クズザンポラー。先週末から7日まで、ハ県で『Haa Mela』が行われています。

「メーラー」とはヒンディー語で祭のことですが、この祭りはIMTRAT(インド軍事訓練チーム)を讃えるもので、週末は首相や大臣をはじめ多くの人々で賑わいました。

伝統競技のアーチェリートーナメントやマスクダンスの他、インド軍による乗馬やマーチングバンドの演奏、子供たちの空手などの様々なプログラムが用意され、

ツェチュ祭のような伝統的儀式とは趣が異なりますが、地元の人々には珍しい催しが多く熱気で溢れていました。

特に一番人気はスカイダイビングで、これを見るために遠出をしてきた人々も多々。

 

さて以前、7月5日の記事「ブルーポピーと雨のカーテン」で、チェレ・ラの様子をお伝えしましたが、今回は秋色に染まりつつあるこの峠の様子をご紹介します。

今は夏に比べて風は強いですが、空も澄み渡り、遠くに見えるパロとハの谷の田んぼが色づき、郷愁を誘う風景が広がっています。

ブータンでは日本のような燃えるような紅葉はありませんが、緑にも多様な色の深みがあり、枯れゆく草の山吹色、

田の黄金色と青空のコントラストと山に寄り添う民家の情景は、どこを切り取ってもポストカードになるような美しさです。

峠から眼下に広がる谷の風景を眺めつつ足元を見てみると、秋咲きのリンドウ・GENTIANA ORNATAが強風で短い茎をふるわせながらも、満開でした。

チェレ・ラと言えばブルーポピー、というイメージが強く、この季節に同じように青い花に出会えるとは思っていなかったため、とても嬉しい出会いでした。

 

ブータンで暮らす楽しみは、同じ場所でも季節によって見せる表情の違いや、穏やかに移りゆく日々の姿が静かに味わえることだと、改めて感じさせてくれます。

 

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ブータン・ダイアリー No.5 (2010年9月18日)

「Vishwakarma Puja」 

 

こんにちは。クズザンポラー。

首都ティンプーは、秋最大のお祭り・ティンプーツェチュ祭で賑わっていますが、今回は9月17日に行われた儀式・ビシュカルマ・プジャのご紹介です。

 

この儀式はブータン各地で行われ、鉄などを使った道具や機械に感謝するというユニークなものです。

現代では、自動車を洗って飾りつけ、交通安全を願う様子が多く見られます。

もともとは、インドやネパールで行われていたこの儀式がブータンでも行われるようになったそうです。

儀式の名前になっているビシュカルマ(Vishwakarma)は、ヒンドゥーの創造神ブラフマーの七番目の息子で、ものづくりや建築等の才能に恵まれた神です。

そのため、インドやネパールでは建設現場や自動車修理工場などにこの神を祀り、事故や破損がないように祈ります。

仏教ではこの神は少し名前が変わり、Lhai Zow Vishwakarmaとされるため、仏教国ブータンでもこの儀式が広まりました。

また、鉄に関係するこというもあり、14世紀にブータンに鉄をもらたしたタントンギャルポと結びつけ、この日を祝うと説明してくれた同僚もいました。

 

儀式の方法はヒンドゥーの影響が大きく、洗車をして車に飾り付けをし、自動車修理工場や広場に設置された祭壇でヒンドゥー教徒からプジャのお祈り、最後に甘いお菓子をもらいます。

ブータン人も、お祈りの後はインド人と同じように、額に赤いティカの印をつけてもらっていました。

 

近年の建築ラッシュも伴い、ブータンではインドからやって来る建築現場の労働者も多く、街ではボリウッドダンスの曲が響きました。

パロの街にもインド人の人々がこんなにいたのだなぁと驚くほどです。

街の中ですれ違う車は、警察車両や白バイも華やかに飾られ、農家は自家用車だけでなくトラクターも運び、トラックは前が見えないほどのリボンや風船の数々。

交通安全祈願をしているのですが、逆に事故を引き起こさないか心配です。

 

山道の多いブータンでは、運転も慣れないと難しいです。また、日が暮れてからの運転は嫌うドライバーが多く、念仏を唱えながら運転する人も多いです。

交通事故が減少することをみんなで祈った一日でした。

 

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ブータン・ダイアリー No.4(2010年8月13日)

「Drugyel lower secondary school」

 

こんにちは。8月12日はインターナショナル・ユースデイでした。ブータンだけではなく、世界各国で青少年に向けたイベントが行われました。

今回、私の職場ウマパロでも特別な催し物をしたいと話し合い、様々な企画が検討されました。

地元に根付くイベントにしようということで Drugyel lower secondary schoolの学生58人と先生達を私達のホテルに招待することにしました。

この学校はパロ西部にあるドゥゲ・ゾンに近い場所にあり、聴覚に障がいを持つ聾唖の子供達が通っています。

現在は6歳から22歳までの学生がいます。

国内では東ブータンのカリンに視覚、ティンプーには身体にハンディキャップを抱える子供の私立学校があります。

また彼らのための学校が少ないため、Drugyel lower secondary schoolには国内の様々な県出身の子供達が寄宿舎で暮らしています。

また、この学校には海外青年協力隊の日本人の先生がお二人います。美術と体育を教えているそうです。

ケーキに手話でメッセージを添えたり、トイレ、嬉しいなどの簡単な手話を勉強して私達スタッフも学生達を待ちました。

 

         

 

 

今回は、学生・先生とホテルのスタッフ達で手形の看板を作る、学生達のダンス、プール、絵画教室、ピクニックランチ、縄跳び、リレーなどのイベントを楽しみました。

踊っている姿の写真は、校長先生の挨拶後に学生達がブータンの国家を手話で歌う様子です。

先生が曲のテンポに合わせて、振付(国歌の意味を表わす手話)のタイミングを伝えます。

その他の曲の際も、各所先生がポーズをとるだけで、学生達は振付を上手に踊ります。そして、先生なしでもほぼ完璧に踊れた曲がありました。

ブータン映画のサウンドトラックです。なんと、撮影に来ていたBhutan National Television のリポーターとカメラマンも踊れていました。

 

学生達はプールをずっと楽しみにしていたと先生が話してくれました。

山国ブータンで泳ぐ機会はほとんどなく、川遊び程度です。川も急流の場所が多いため、泳ぎ方を知らない大人も多いです。

今回初めてプールに入って驚く学生もいて、「頭に水が入ってきーんとする」という内容のジェスチャーで、驚いた気持ちがよく伝わりました。

最後は、チーム対抗戦でのリレーです。日本人の体育の先生によると、先日初めて練習したそうです。

ホテルの敷地内で学生達が楽しめる競技を考え、リレーを選んだそうです。

大盛況でした。

          

お土産は、ホテルのお客様用には使えなくなった少し傷んだタオルをプールで遊んだ後に、カラフルなマグカップとお菓子を用意しました。

資金は、職場のスタッフから100ヌルタム(約250円程度)を集めたものです。

学生達は、学校を卒業後、同じ学校の先生、ペインティング、パン屋や実家の農業を手伝う学生が多いそうです。

ブータンでは、私の職場のように150人以上のスタッフが働く民間会社はまだまだ少ないです。

民間会社として社内のスタッフだけでなく、どのように地域に関わりあうことができるのか、地元の人々に還元できるのかを考えていくことも務めだと感じています。

  

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ブータン・ダイアリー No.3(2010年7月14日)

 「タクツァン僧院・洞窟の公開日」

 

こんにちは。先月6月21日はブータン歴(太陰太陽歴を基とする独自の暦)5月10日で、格別に篤い信仰を集めるグル・リンポチェの生誕日でした。

パロのタクツァン僧院は、8世紀にグル・リンポチェが虎の背に乗り訪れ、西ブータンに仏教を広めたとされる屈指の聖地。

ここでは、毎年ブータン歴5月30日が法要最終日とされ、年に一度、グル・リンポチェをはじめ様々な高僧が瞑想した洞窟が一般公開されます。

 

週末7月11日がこの日にあたり、念願叶い行って来ました。最初に驚いたのは、駐車場はスペースがないほど混み、タクシーも次々とやって来る様子です。

       

 

人気観光スポットなので、いつもはすれ違う人は観光客も多いですが、この日はほとんどがブータン人。

ティンプーのタンゴ僧院をはじめ、様々な僧院のお坊さんに出会いました。

地元の人は、多くのお供え物を持って登るので大変です。途中まで動きやすい服装で登り、第二展望台前で着替える人々も。

早朝まで強い雨が続き滑りやすく、民族衣装で登るのは一苦労です。

        

 

道中は途中で霧がかかり、法要の音が谷間に響き、とても幻想的な雰囲気でした。

また、シーズンは過ぎましたが、石楠花が時々美しい姿を見せてくれます。

 

僧院内の写真撮影はできないのでご紹介できず残念ですが、公開された洞窟内は、読経する人々や参拝客で溢れていました。

洞窟内は四畳半程度で、108の法具・プルパ(独鈷杵)が置かれた場所が特に神聖な所のように感じました。

ひんやりとした洞窟内に広がる人々の熱気は、衰えることのない人々の信仰心を改めて伝えてくれました。

公開は年に一度ですが、洞窟内部に入れなくても、やはりタクツァン僧院は外せない訪問地です。

 

 

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ブータン・ダイアリー No.2(2010年7月5日)

「ブルーポピーと雨のカーテン」

 

        

 

こんにちは。週末にかけて、パロ谷からハ県の方へ出かけました。

目的は、県境の峠であるチェレ・ラに咲く青いケシ・ブルーポピーの観察です。

ブルーポピーはブータンの国花です。

 

実は6月中旬ころ、今たくさん咲いているという情報があり、すぐに行きたかったのですが、なかなかチャンスがありませんでした。

7月に入ってしまいましたが、なんとか一目でも見たいと行ってきました。

 

チェレ・ラは標高3,800mを超え、晴れればチョモラリ(7,314m)の姿を望むことができますが、今の季節は曇りがちなのでちょっと難しいです。

峠周辺を歩いて行くと、所々にブルーポピーの茎の部分がありました。

既に散ってしまったものは、葉も落ちてしまっています。

あきらめずにどんどん登り、石楠花の葉の絨毯の中を進むと、やっとブルーポピーを見つけました。

ひっそりと、繊細で透けるような美しい色で咲き誇っていました。

今からお出かけの方は、峠から15分以上は登る必要があるかもしれません。

以前の峠の様子を知る地元の人は、昔よりも見つけ辛くなったと言いますが、まだまだ群生しています。

 

 帰り際、夕方にパロ谷に雨を降らせる雲がかかっていました。

この雨がブルーポピーを美しく咲かせます。

また、遠くから見ると、この雨のカーテンが通り過ぎた後は谷に後光がさすように見えます。

実際に暮らしてみると、この季節は短時間ですが、朝と夕方に雨が降ることが圧倒的に多いです。

でも、朝と夕方の雨が上がるこの瞬間が、パロ谷を最も美しく輝かせます。

ブータンにいらっしゃた際は、雨でもがっかりせずに、雲間から光さす瞬間をぜひ待ってみて下さい。

 

 

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ブータン・ダイアリー No.1(2010年6月30日)

「ブータンでのワールドカップ」

 

こんにちは。

初めまして。

現在、パロ谷にあるホテル、ウマパロに勤務しております矢内由美子と申します。

 

旅行会社に勤務していたため、2002年に初めてブータンを仕事で訪問しました。

最初に谷を飛行機から見た時、深い峡谷に寄り添いながら点在する民家、松林の緑、流れゆく川とヒマラヤに感動し、また人柄に感激し、忘れられないものになりました。

当時は、外国人が民間の会社で働く機会はほとんど無かったと思います。

そして時代も少しずつ変化し需要が増え、今回機会に恵まれ、現在に至ります。

 

この度、HP『ブータン館』来賓室(http://bhutan.fan-site.net/raihin.htm)への掲載、「Bニュース」での配信お誘いを受けました。

働き始めたばかりで力不足だと緊張していますが、現地で働くOLとして様々な視線でお届けできればと思います。

 

 今日は、日本でも話題だったワールドカップのサッカーについて。

伝統的なスポーツを除き、サッカーはブータンで最も人気の高いスポーツではないでしょうか。

映画では、02年日韓ワールドカップの決勝と同日開催された最下位決定戦ブータンVSモントセラトを描いた「THE OTHER FINAL」、

ブータン人が監督したサッカー大好き少年僧がワールドカップをいかに観戦するか、夢のチーム実現を願う「THE CUP」を観ても、熱の入れ具合が伝わります。

 

 今回、前評判に比べての日本の快進撃は、こちらでもみんな驚いています。

決勝リーグに進出した際「アジアで残っている日本と韓国を応援する」と多くのスタッフが口を揃えました。

 

本日(30日)の新聞クエンセルの裏面には「Japanese hart broken」と見出しがあり、写真も載せ、詳しく試合内容も解説が付いています。

先日、イタリアがスロバキアに負けた際は一面を飾りましたが、今日は裏面。なんでかなと一面を見ると、「ティンプーのタシチョゾンに掲げられた、ブータン最大のトンドル」の写真。

仏教国ブータン、これが一面を外すわけにはいきませんね。

       

さて、新聞の見出し通り敗戦で落ち込む私に、スタッフ達が「4年後はもっと強くなる」「とても良いチームだった」「アジアとしてブータンも頑張る」と励ましてくれました。

 

現在、世界ランキングの最下位は202位、ブータンは196位と少しずつ成長しています。

両国ともに4年後の更なる活躍を願ったワールドカップでした。

 

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