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来賓室高田忠典氏のブータン・メンカン便り

「メンカン」とは、ブータンの言葉で「病院」を意味します 

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New メンカン便り・最終号 2007年4月

この春、ブータン国立伝統医学校から校長と教員の2名がモンゴル共和国にある伝統医学大学院へ、また国立伝統医学研究所所長が経営学修士修得のためオーストラリアへと旅立つ。

入れ替わりで国立伝統病院副院長が経営学修士コースを終えたタイから帰国した。

学費はすべてブータン政府が捻出する公務員の国費留学。出世への近道とはいえ、数年間を家族と離れ勉学に励む。辞令があれば子供のいる女性でも数年の間わが子と離れて海外へ留学に行くという話も少なくはない。

慣れない海外での生活。日本の開国期には新渡戸稲造博士がその著書の中で、日本人の精神である武士道を日本に咲く固有の花「桜」に例えた。

ここではブータン人自身が国際的に見れば、ヒマラヤに咲く固有の花「ブルーポピー(ブータン国花)」的繊細な存在。海外での苦労と努力が想像される。

かくして、さまざまな思いを旨に勉学に励み、帰国後はブータン政府の要職につき活躍してゆく。

上述の伝統医学院スタッフたちも近い将来、伝統医学院の改革の中心を担っていくことになっている。国立伝統医学校では大学の枠組みのなか大学院コースを創設しブータン伝統医学の学術向上を図る。

また近年、病院での処方薬以外に一般向けの商品開発をすすめる伝統医学研究所は、保健省からの独立民営化にむけた取り組みを進めてゆく。

そして伝統医学院の柱ともいえる国立伝統病院の方はというと、実は現在のところ大きな改革案をうちだしていない。

他の国の伝統医学の歴史が歩んできたような、伝統医学の長所である機能論を置き去りにして、西洋医学的システムのみを導入していくといった取り組みが懸念される。彼ら留学生たちには、海外での見聞をもとに伝統医学の長所を西洋医学中心の医療現場で取り入れていくというような、世界の潮流になりつつある統合医学を目指した取り組みに期待する。

ブータンに来て4年の歳月が過ぎた。国のコンセプト国民総幸福量(GNH)に代表されるような国のユニークなシステムに惹かれ、単身ブータンに足を運びそして居ついた。

はたして、これらのことはどれだけ吸収できたであろうか。

実際に肌で得てきたものは大きい。

国が推進する医療費無料の制度の中に身をおくことで医療者の原点でもある「仁術」の世界に立ち返らせてくれた。

国が伝統医を保護しているという数少ない国である。伝統医と人々との距離感もすばらしい。

相談事の多くは身分の高い僧侶に救いを求めることが多いが、伝統医は特に健康に関して気軽に話せる村の身近な存在。

日本で言えばマンガの「一休さん」に登場した「和尚さんと村人たち」といった関係だろうか。

思えば、日本で他の先進国に比べ馴染みのカウンセラーという職業が圧倒的に少ないのは、寺の請負制度が廃止された後にも、土地に根付いた地域密着型のほねつぎや鍼灸院といった、気軽に立ち寄ってはグチを話せるような病院の下請け的・医療類似施設の存在が大きいのかもしれない。

長い時間をかけて社会に根付いている日本の伝統医学(代替医療・補完医療)を、このような視点から見直してみるのも面白いのではないだろうか。

医療費の面から見ても一般的に患者側からすれば、鍼灸治療等の自由診療に通えば、医療保険のつかえる病院よりも10倍の実費を払わなくてはならない、という感覚がある。

しかし実際、病院に通うと、それにかかる医療費の総額は「鍼灸治療などにかかる治療費の10倍の医療費がかかっている」とも言われている。

保険制度は異なるが、アメリカでは50%を超える数の人たちが病院以外の施設でも治療を受けているという。

医療財政で苦しむ現在の日本。

その危機からの脱出の答えは、私たちの社会に西洋医学が導入される前から伝わってきた「伝統医学」の復興にこそあるのかもしれない。

元ブータン国立伝統医学院  高田忠典

04/19/2007

 

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メンカン便り・2月

インド・コルカタ(旧カルカッタ)空港を出発し、機体はパロ空港めがけ一路高度を上げてゆく。雲をはるか眼下に、空は益々青さを増し機体の左肩にはエベレストをはじめとする世界最高峰のヒマラヤ山脈が広がる。都会の焦燥とはおおよそ別の惑星の上を飛行しているかのような錯覚を覚える。ブータンへの空の航路を支配するブータン航空(Druk Air)ならではの機内体験である。

以前、ブータンの北方、チベット側からネパールへ抜ける陸路、土色の大地の遙か向こうに浮かぶヒマラヤ山系を望む機会があった。土色の荒野の中に瑠璃色に光る山脈は何とも神々しく感じられ、太古の昔この不毛の大地に生きた人々が、この光景に神々を投影したであろう事を思い、ひとり想像にふけった。現在もまたヒマラヤ周辺の国々においては、我々の想像を絶するような過酷な環境の中でも村が点在しており、そこで生活を営む人々の生命力に驚かされる。何世代にも渡り悠久の大地のうえで神々を身近に感じながら、生と死を見つめる生活。そしてこのような環境の中でチベットの文化が花咲き、チベット医学もまたその中で誕生してきた。チベット医学の特徴を日本語で出版されている書籍から引用すると、

近代西洋医学では、「生」に焦点を当てて寿命を延ばす技術を発達させましたが、チベット医学は、養生の術と生活のアドバイスをたくさん含んで、「寿命」よりも「生命」を大事にしてきました。チベット語で医学はソーワ・リクパと言います。ソーワは「治療する」「慰める」の意味があり、リクパは「智慧」の意味があります。つまり、長く生きるための技術ではなく、善く生きるための知恵なのです。チベット医学は人間が生まれ、老い、病み、死ぬと言う人生全体を考え、「生」だけでなく、死も中有(バルドゥ・死と生の中間状態)も含む大きなライフ・サイクル全体を考えているのです。

医学の中に「死生観」が繁栄されているのが最大の特徴である。この医学大系は、海の幸と四季の産物によって育まれてきた、日本の風土の中では決して生まれることはなかったであろう。過酷な大地に生きる、人々の生への祈りからこの医学が誕生した事が伺える。

お金次第で人生の安心が得られ、パソコンの中ではキー操作ひとつでリセットや復旧が簡単に行われる。高度に「便利さ」を追求してきた我々の社会では、仏教が説明するところの「因果応報」といった真理について感じる機会が益々少なくなっているように感じる。それは則ち、より善い「生」を考えるうえで有用な死生観が喪失していると言うことではなかろうか。チベット亡命政府、ダライラマ14世の主治医ロプサン・ワンギェル医師はこのように語る。

生きている間にそれ(死)を学び、その構造を理解していることは、心理学的にも大きな意義があります。また、今を少しでも、より良く生きなければいけないことの重要性が認識されます。

我々の身近な医療の中では(漢方を含め)死を考えるという事はおおよそタブーであり、その研究自体が死に対抗するための知恵であると言えるだろう。今、日本全体で若年者から高齢者という広い範囲で多くの人達が自らの命を絶つという悲しくも異常な事態を耳にする。人の命を司る現在医療の手の届かない範疇である。医療が広い範囲で「生と死」に対して積極的に目を向け、取り組んでいくこと。現在医療が社会に対し貢献していける新しい可能性ではないか。

ブータン伝統医学院 高田忠典

参照:「チベット医学」青藏少年教育基金会 1999年

   「ダライラマ14世の主治医が語る 心とからだの書」ロプサン・ワンギェル博士著、中川和也解説、法研、1995年

04/03/2007

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メンカン便り・2007年1月12日

今年も日本では風邪の猛威が新聞紙面を賑わせているが、今年のブータンでは腹痛を訴えて来院する風邪の患者が多いようだ。伝統医学院ではそんな患者さん達に対し「セブ(Se-ahBru)」と呼ばれる生薬の入った薬が処方されている。食欲不振・下痢・腹痛などの訴えに対し6種類の異なった配合の丸薬が用意されている。なおブータンの市場においてもこの薬は非売品ですので、お求めの方は病院を尋ねて処方して頂くほかに入手方法はございません。

風邪薬としては日本にも葛根湯などでお馴染みの生薬をもちいた漢方薬があり病院でもエキス剤として処方されている。しかし学術的に見るとその効果の程も未だ科学的解明の途中にあるそうだ。ある学者は漢方による効果は「プラシイボ効果」であると主張する。プラシイボ効果とはすなわち「思いこみ効果」、極端に言えば頭痛に薬効のない小麦粉を丸めたものを与えても、その効果を強く信じさせれば頭痛にも一定の効果が現れるというものである。一方中国の漢方薬よりも更に科学的な成分分析が遅れているブータンの薬についてはその薬効について疑問視されたとしても仕方がないことである。しかし病院スタッフ自らが山に登って原料となる薬草を集め、何十種類もの材料を丹念にブレンドし、薬師如来の加持をうけて完成した1粒の丸薬であると知った時、プラシイボ効果によって思わぬ効果も生まれそうなものである。

以前、これに似た現地のお坊さん達の修法について話を聞いた事がある。1杯のお茶を目の前に、お茶の葉の成長や製造までのプロセス更にはこれに費やされた自然の恵み、火の力、人の汗、苦しみ、それらを意識しながら瞑想する。鮮明にそのイメージが頭の中に描けた時、目の前のお茶を手に取り頂戴すると言うものである。確かに古来よりお茶は薬としても有名ではあるが、味わい方によっては成分的薬効の他にも違った効き目というものが期待出来そうだ。それ以上に病気をとりまくライフスタイルにさえ思いもよらない影響がうまれる事も考えられる。以前、ニューヨークでカリブの島のホテルオーナーであるという女性から治療依頼をうけた。仕事の成功で誰もが羨むような彼女の立場であるにも関わらず彼女が診療に訪れた理由というのは「最近、幸福を感じない。感動が無い」と言うものであった。心の病と受け取れるが心体不二という考えの下、私が出来る事として体の不調を整えるということから始めたのだが、同時に上述の「ブータンのお茶」の話をしてみた。結果、彼女にとっては施した治療よりも耳にしたお茶の話の方に効果を実感出来たようであった。

医療に携わるものとしては技と知識を蓄積すると共に、一般の方にも理解出来るような科学的に説明のできる治療を目指していくつもりだ。しかし日頃、見ている患者さん達の疾患の多くが生活環境や日頃の心のあり方など目に見えにくい原因に依存していると感じる。「便利さ」という恩恵の中では「不便さ」のプロセスに含まれていた「感動」や「感謝」という要素はついつい疎かになってしまうもの。日常の「心がけ」から生まれる病気の予防と治療効果について考えて行く事も大切なことのようだ。

一言に「カゼ」といっても多様に複雑化し最近は油断の出来ない病気となっている昨今。衛生管理も当然必要ではあるが「病は気から」と言うように日頃の心がけからも風邪の予防に取り組んでいきたいものである。

ブータン伝統医学院 高田忠典

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メンカン便り・2006年12月30日

ブータンの12月を代表する年中行事「9人の悪霊の日」。どの家々も悪霊が不幸をもたらすとして年中プジャという祈祷の儀式を行っているこの国であるが、年に一度ぐらいはその悪霊にも歩はあるとして国民の休日に当てている。この日人々は良い事をしても必ず悪い結果になってしまうのだといって寺院には足を運ばず日がな家族総出でアーチェリーなどの娯楽に興じる。仏教の寛容的な一面を垣間見るこの休日、一方的に「悪の枢軸」などと言うイメージを作り上げ人の住んでいる国を名指ししては戦争を始めてしまうような先進国の首脳陣に是非研修に足を運んで頂きたいものである。

話は変わり「イメージ」と言えば、我々治療を行うものに対する世間のイメージ、一般に治療家と聞くと白髭をたくわえた老人を連想されるようである。ではここでブータンの伝統医と聞いてどのような人物を思い浮かべるだろうか。左手に数珠を握り、紅い僧衣をまとった修行僧。少なくとも私自身ブータンに来る前はそう信じていた。実際ブータン伝統医学院には僧籍をもった伝統医は一人もいない。僧から転職されたという方は数人いるが、一般のブータン人と同じく片手に携帯電話を握り、伝統衣装に身を包む。喫煙者はいないがドマ(キンマの実)を愛好する人は多い。現在全国には4名の女性伝統医がいる。その中で最年少26歳のドゥンツォ・ジェルミさん(ドゥンツォは伝統医に対する敬称)に話を伺った?

− どうしてこの伝統医という仕事を選ばれたのですか?

(ジェルミ)人のために何か役に立つ仕事をしたいと考えた時、医療の世界に興味を持ちました。

− しかしこの国の多くの女性は西洋医学の現場で働かれていますよね。

(ジェルミ)父が仏教僧という伝統的な家庭環境に育ったため、医療を目指して伝統医学院に進学する事は自然な事でした。(ジェルミさんの父親はチベットから亡命してきたリンポチェ[活仏]である)

− 今の伝統医師という職業をどう思われますか?

(ジェルミ)病気で困っている患者さんに対して良い事をしてあげられるという点でこの仕事に誇りの持っています。ですから多くの患者を診療した日はとても幸せな気持ちになります。

− 公務員であるこの職業の給料についてはいかがですか?結婚してもこの仕事を続けますか。またブータンでは個人での医療活動が禁止されていますがその点については?

(ジェルミ)良い仕事であると思っていますので自分を高めながらも充分なお給料をもらっていると思っています。この仕事は続けたいので仕事をサポートしてくれる男性と結婚したいと思っています。個人医療活動についてはいずれ自分で独り立ちして診療所をもちたいという夢があるので政府の改革を望みます。しかしこの仕事に就くまでの教育費と知識を得るための研修等をすべて政府が負担してくれていますので今はこの病院の勤務に満足しています。

− この伝統病院に勤務する中で不満なことはありますか?

(ジェルミ)上司からの愚痴!

「・・・・・・・・そうですか。」さらにプライベートな時間の過ごし方についても伺ってみた。

− 仕事のない休日はどのように過ごされるのがベストですか?

(ジェルミ)寝る・・・。

上司との軋轢は働く女性の間で万国共通の悩みのようである。このインタビューの結論として仏教を背景とするこの伝統医学が民衆とかけ離れた聖職者によって行われているのではなくドゥンツォ・ジェルミさんのような一国民によって行われているというブータンの現状である。未だにブータン医学に対してスピリチャルなイメージを抱きこの病院を訪れる外国人は後をたたない。ブータン医学はその宗教的土地柄の中でブータン国民のニーズをみたすべく育まれてきたブータン王立政府主導の現実的医療サービスなのである。

ブータン伝統医学院 高田忠典 30/12/2006

 

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メンカン便り・11月29日

始めてブータンに足を踏み入れたのが98年の夏。それから今日に至る短い間に関らずヒマラヤの小国が近代化を受け入れ変わりゆく姿を目にしてきた。土壁の素朴な平屋が次々とティンプーの町並から姿を消し、変わりにコンクリート建てのビルが所狭しと軒を連ねた。路上を行き交う車の増加率は年間20%増、登録台数では首都ティンプーにおいて大人1人1台ずつが車を所持している計算になるという。家々の食卓ではテレビ、DVDといった娯楽用家電製品の普及に伴い円卓で会話を交わす風景が少なくなっている。加えて国民の英語識字率の高さもメディア、インターネットを通した海外の情報吸収に拍車をかけている。一方、ブータン政府では政策として近代化を支持すると共にこの変化のスピードに対応すべく伝統文化の保護にも勤しむ。ブータンの伝統医学もまた織物や工芸、舞踊とともに王立政府に保護されながら運営されている。いまこの国の行く末の中で「変わりつつあるものと、変わらないもの」双方が織りなすバランスからひと時も目が離せない。

今回は伝統病院で行われる治療法のひとつ、四部医典の論説タントラ第20章にも「5つの外科療法のなかで最も優れた療法」と評される瀉血療法を紹介する。この療法はヨーロッパを含め世界中の医学史に登場する最も原始的な外科的療法で皮膚の各所に小さな傷をつけ余分な血液を体外に出す。日本にも伝わる瀉血療法は刺絡療法と呼ばれ古代中国で高度に発展した鍼灸術のひとつだ。歴史ある優れた治療ではあるが微量の血液を体外に出すため医師法との兼ね合いでたびたび物議をかもし出している。そのため残念ながら日本では陽のあたらない隠れた治療法である。近年ではこの療法に注目し治療にあたる医師の間からその高い治療効果が評価されはじめている。ここで私たちが日本で見ることのできる刺絡療法とブータンで行われている瀉血療法とを比較してみよう。まずは皮膚表面に傷をつくるために使用される器具。日本ではスプリング式三陵鍼といった器具や、太目の治療鍼(0.24mm)時には注射針の鋭い針先をもちい少ない痛みで小さな傷口をつくる工夫がなされている。一方ブータンの瀉血療法では数種類の小さなナイフと呼べるような器具(写真)が用いられる。傷口の大きさが違う分、出血の様子も異なる。日本の刺絡療法によるものでは小さな傷跡から血がにじみ出てくるのに対してブータンの瀉血では血がダラーッと噴出すという例えがふさわしい。日本の瀉血療法には随分見慣れていた私でも初めてこの療法を目にしたときにはショックが隠せなかった。適応疾患を比べると日本では肩こりや腰痛、花粉症、アレルギーといった身近な治療法として用いられているのに対しブータンでは熱性の疾患やうっ血部位など、やや最後の手段といった感じに施されているようだ。現に、より頻繁に施されている金鍼療法と比べると治療件数も極端に少ない。ブータン医学のルーツ古代のチベットでは現在のように医療施設が身近ではなく、今のように気軽に医療を施される環境ではなかったに違いない。この瀉血療法も当然緊急時の対処方であったのではないかと考えられる。ちなみに瀉血療法を施す1週間前には必ず特定の薬が処方され、この薬によって良い血と悪い血が分離され瀉血時には悪い血が傷口から排除され易くなると言う。日本で行われる刺絡療法の前にも事前に同じような処置を鍼で行っている。その辺は共有できる理解の範疇だ。

去る8月、日本から鍼灸の先生方を招き実施した刺絡療法の実演会。参加したブータン伝統医学関係者達は初めて目にする自分たちのものとは異なる瀉血療法技術に目を見張っていた。彼ら自身も生活様式の変化によって新しい病状を訴える患者に対する新たな対処法を模索しているのだ。しかし皆が新しい治療法に興味を示す中で年配の伝統医師から「我々の治療法とは考え方が違い異なる治療法だ」と自分たちの伝統的瀉血療法を主張する声もあった。ここでも「変わりつつあるものと、変わらないもの」との間で葛藤する人々の苦悩が垣間みられた。

ブータン伝統医学院 高田忠典                       (参考)小川康訳「四部医典」第21章

 

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メンカン便り・10月29日

朝霧と家々から立ち登る薪ストーブの煙がまじりあい初冬の古都ティンプーがモヤの向こうに浮かび上がる。この季節になると冷えによって生じる関節の痛みを訴える患者が伝統治療院にも列をつくる。患者さんの多くは変形性関節症などの慢性疾患を抱えた10年選手達である。その患部を見ると決まって十文字に5点の焼き痕、いわゆる「金鍼療法(セイカップ)」の処方痕を見る事ができる。5センチほどの金製の鍼で形状も針というよりはコテといった印象がある。その金属を患部もしくは症状にあったツボのうえにあてがうのであるがアルコールランプで熱した鍼先を直接熱して使う方法と鍼のお尻を火で暖め熱を伝える2つの方法がある。日本にも古典によって伝わる「火鍼(かしん)」という鍼療法の手技があり最近関東を中心とした治療家の間で再び見直されている。両者の違いは火鍼が瞬間的に皮膚内に刺入するのに対し金鍼療法は皮膚上にあてがうというものである。伝統医学院における金鍼療の患者トップ3を挙げると1位:膝痛 2位:めまい 3位:頭痛 である。膝痛でも老人性の変形性関節症などの局所の痛みには効果があるようだ。めまいと頭痛については同じ頭のポイントを日本のお灸でもよく使う。私見としてはこのトップ3に関しては一定の効果があると思っている。但し伝統医によっては針先を灼いて直接あてる手技を好み、熱さを調節するテクノロジーなどはもちろんあるはずもなく、受ける側もそれなりの気合いが必要とされる事は言うまででもない。

全国の伝統医が広く用いる金鍼療法ではあるが実はブータン医学の教典「四部医典」の中には金鍼療法についての記載がない。すべての取穴は同書結尾タントラ21章「お灸の章」にしたがって治療がおこなわれている。我々のよく知っているお灸の原料といえばヨモギの葉であるがヨモギの無かったこちらの高地では歌でおなじみのエーデルワイスがお灸として用いられてきた。しかし薬の国ブータンでも4000メートル以上の限られた地域にしか生息しないこの花はどこででも手に入ると言うものではなくお灸の代用として同じ効果を求める金鍼療法が生まれたのではないかと考えられる。また、ツボに関する記載を見ると中国医学の強い影響を受けている。お灸は中国全土において歴史的にモンゴルを中心とした北方の高地で盛んになった治療法だ。気候や習慣の良く似たこのチベット族の間でも同じくお灸が好まれその代用としてブータンでは金鍼療法が盛んに行われてきたのであろう。材質に金が選ばれた理由としては金のマイルドな熱の伝導力というよりはこの地域で仏具にも多く用いられているように金のもつご利益にあやかって選ばれたのではないだろうか。更にこの金鍼さえも手に入らない地域では、他の方法も用いられている。白檀の棒をこすり合わせ摩擦によって生じる熱を利用し患部にあてがう(これが思ったよりも熱い)。

同じチベット医学の系譜を受け継ぐチベット亡命政府のあるダラムサラではこれ程、金鍼療法は用いられていないそうだ(現地で伝統医学を学ぶ小川氏の証言)。ブータンでは医療費無料という政策の中、金鍼療法の使用は漢方薬を節約するため自然と多用され普及していったのであろう。「金鍼療法」はそういったブータン伝統医学の知恵でもあるのだ。

ブータン伝統医学院 高田忠典

 

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メンカン便り・9月30日

棚田の穂が黄金色に輝き、街道はチェチュの祭りを祝う人々の晴れ着姿で賑わう。ティンプーゾン(城)の周り一面を包み込むピンクと少数の白いコスモスが秋風に揺れている。そんな季節が今年もやってきた。首都ティンプーが最も活気に満ち溢れる時期である。

去る8月末、ブータン国立伝統医学院では日本の研究者および企業の方々を招きヒマラヤの薬草に関するシンポジウムが行われた。もちろんブータン伝統医学院にとっては初めての国際シンポジウム。ブータン側からは伝統医学院を管轄する保健省の他に農業省、通産省の役人も参加、日ブ両国の知恵を絞りあった。企画されたJICAシニアボランティア土屋自佑さんの尽力もあり3日間のシンポジウムは成功に終わった。

薬草には素人である私は会の前日に伝統医学院のスタッフを対象にした3件のサブセッションを企画した。最初のスピーカーはヒマラヤ全域でチベット医療の復興に努めておられる「NPO法人開発と未来工房」代表・鎌田陽二さん。ご自身の実践を体系立てて説明されたチベット医学復興のための講演にスタッフ一同「目から鱗」といった状況であった。2番手にはインドのダラムサラ・メンツィーカンにて外国人で初めてとなるチベット伝統医師を目指す小川康さん。流暢なチベット語にて本業の薬剤師としての立場からチベット医学の将来を語って頂いた。そして最後に日本刺絡学会副会長の石原克巳さん、矢田修さん、山崎道広さん、Todd Lakesさん4名の鍼灸師による実技デモンストレーション。ブータン伝統医学にも馴染みの深い瀉血(悪い血を出す)療法を中心に洗練された技をご披露。医療の根元である手をつかった医療の大切さと可能性について示唆して頂いた。全体をとおし初めて耳にする海外の目を通した自分たちの伝統医学に終始とまどい気味であったように感じた。まずは耳を傾け関心を持つ。それがこれからのブータン医学の発展に繋がる礎となるであろう。両国の文化がもつ伝統医学という視点から日本とブータンの交流に貢献できた今回のシンポジウム。両国間の協力による今後の更なる伝統医学の発展を期待する次第である。

ブータン伝統医学院 高田忠典

 

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メンカン便り・8月24日

週末を利用してプナカに足を伸ばした。街道にはサボテンの群生が広がり昼間の気温はティンプーよりグッと高い。日本の夏の蝉時雨を思い浮かべながらホテルのプールに飛び込んだ。首都ティンプーあたりは高地特有の気候を呈し、夏でも比較的涼しく過ごすことが出来る。しかし日本の沖縄に値する緯度と言うこともあり日中の日差しは強い。炎天下、街道沿いの柳の葉を束ねて輪を作り頭に載せて歩く村人の姿を目にする。逆に夜はヒマラヤ上空で冷やされた空気が下降してくるため谷間の町は急激に冷やされる。この日中の急激な気温差が病院に通う患者達の病状にも影響しているように思える。

下の図はブータン伝統病院(NTMH)に通ってきた患者の病状トップ10である。

1位に輝く神経痛や5位の関節痛は足下からの冷えが関係している。合わせて最近急に豊かになった食生活は体の中で熱を上下に分離する事を促進する。日本では少ないが2位の副鼻腔炎、日本でもおなじみ3位の高血圧、4位胃炎、6位痛風、8位頭痛 などはこれらの原因に由来しているように思える。急激な環境による変化、急激な食生活の変化が体の内環境にも大きく影響している。

最近巷ではブータンのスローライフが脚光を浴びている。「時は金なり」で豊かさを求めてきた日本人に対して警鐘をならしている。身体からのニーズも同様である。テレビや書籍には健康に対する様々な情報が溢れている。自分にあったスローに実践できる健康法を日々の生活の中に心がけていきたいものである。

1位 神経痛・神経障害   2位 副鼻腔炎   3位 高血圧   4位 胃炎   5位 関節炎   

6位 痛風   7位 外傷   8位 頭痛   9位 皮膚疾患  10位 腰痛

ブータン伝統医学院 高田忠典

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メンカン便り・7月30日

棚田の広がるティンプー谷の田園風景。田植えが終わり青い早苗の群衆が一年の中で最も美しい景観のひとつを造り出す。

またブータン各地では多様な植生が人里離れた各地方でネコの目ほど多くの変化に富んだ刺激的な風景を生み出している。ブータン北部チベット国境に面する人を寄せ付けぬ山岳地帯もそのひとつである。荒涼とした5000M級の峠に囲まれ長く連なる谷に牧草地帯が広がる。夏の間ヤクを連れた遊牧民達の生活の場となり厳しい環境の中色とりどりの花が咲き乱れ賑わいを見せる。そしてここはブータン伝統医学院で使われる漢方薬原料の宝庫でもある。今回薬草の調査に同行しその景観を目にしてきた。

中国漢方薬として日本でも聞き覚えのあるマオウ・ダイオウ・ニンジンをはじめとした135種類の高山植物が採取されており日本では幻の花とも言われるブータンの国花ブルーポピーもここでは薬草のひとつにすぎない。今回調査に同行していただいたネパール自然資源局副所長のマラー氏も日頃見慣れている種類ではあるがその量の豊富さには感嘆の声を挙げていた。毎年この時期になるとティンプーの薬工場からスタッフが交代でこの地に足を伸ばし現地で暮らす人々と共に薬草を採取し、乾燥させ人と馬の手でティンプーまで運んでいる。この過酷な就労を目の前に、以前耳にした仏教僧達の授業の話を思い出した。湯飲みに入ったお茶を目の前に茶葉を育てる過程から多くの人が関わってきた長いプロセスを瞑想しその後でお茶をいただくというものである。日頃首都の病院の棚に並べられている薬にこれだけの手間と時間がかけられていたことを改めて認識した。そう考えただけでも薬の効果は一層高まりそうなものだ。扱う側としてもとても疎かには扱えない。

来月末、日本の薬草研究者をブータンに招き日本と共同で薬草のためのシンポジウムを開催する。両国の協力で貴重なブータン薬草の将来が見いだされていく事を切に願う次第である。

ブータン伝統医学院 高田忠典

 

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メンカン便り・6月19日

雨の多い時期になった。日本の梅雨の趣とは異なり夜中に多く雨が降る。早朝夜露にぬれた青い草が朝日にまぶしく照らされ白い雲の切れ間からは青空が顔を出す。また日中は日差しが強くまさに夏の気候。伝統衣装である「ゴ」をはだき腰にまとめて半袖で過ごす。夜は静かな雨の音と共に気温も下がり毛布にくるまって朝を迎えることになる。先月の便りではこの気温差による膝痛の話をしたが、ここ数日は頭痛・目眩を訴える患者が多い。同じ原因ではあるが特に女性の身体は冷えには敏感。足下、腰回りは特に暖かくして対処して欲しい。

さて雨の多い時期は我々にとって過ごしにくい時期とも言えるが植物にとっては恵みの雨である。ブータン国立伝統治療院の伝統薬の原料となる薬草の多くもこの時期が収穫の最盛期。スタッフが交代で高地に足を踏み入れ1年分の高山薬草の採取にとりくむ。今年は幸運にもその一団に同行させて貰える機会を得ることになった。目的地は首都と同じティンプー県ではあるがパロから4日の行程を費やす標高4200Mのリンシ。トレッキングでも大変人気のあるスポットである。

今更ではあるがブータン王国の自然についてのおさらいである。中国とインドという大国にすっぽりと囲まれた国土の72%は森林が占め、海抜150Mの広大なジャングル地帯であるインド平原から7500M級の白銀のヒマラヤ山脈地帯にかけて極めて多様な植生に恵まれている。古来より近隣の国から「薬草の国」と呼ばれていた記録も残る。これらの森は絶滅危惧種と呼ばれる生物たちの宝庫でもあり7000種以上の植物、165種の動物、700種の鳥類が共生している。これらの植生や自然条件がこの国の特殊な伝統医学という財産の維持を可能にしてきた。

「一面の花畑は丹波哲朗の映画に出てくる天国のシーンその物だった」とは去年リンシに足を運ばれた日本人の方のコメントである。天国に召すことなく無事に帰ってこられた曉には次回の便りでそのレポートが出来ることであろう。

ブータン伝統医学院 高田忠典

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メンカン便り・5月31日

春が過ぎ首都ティンプーの沿道は花の時期を迎えています。沿道の至る所では日本のものよりやや背が高く花数の多いタンポポ、川沿いや山道には白い野バラが咲き誇っています。雨も一日中ではありませんが多くなりました。一日の温度差も大きいせいか最近は膝の不調を訴える患者さんが圧倒的に占めています。体質や性質によって環境などの外部からの影響を人よりも受けやすいことがあります。自分の体質や性質を把握しておくことで病気の予防や毎日の生活の計画が立てやすくなります。チベット医学では人の生体要素を「ルン(風素)」「チーパ(胆汁素/火)」「ベーケン(粘液素/水・土)」の3つに大きく分類し伝統医は患者の3要素のバランスを見て治療にあたります。また各個人で性格が違うようにこの3つのバランスも人によって異なっています。3つのうちどれが良いというものではなく、あくまでその均衡を図ることに努めます。

 呼吸、言語、筋肉、消化、血圧などを司っているルン(風素)は性格の歪みや生活の偏りによってバランスを壊すと言われ心の姿を客観的に見ることが大切といわれています。肝臓、胃腸、心臓、目や皮膚の機能を司るチーパ(胆汁素)は攻撃的な激しい感情や食生活の偏りによって乱れが生じやすくなり、味覚や咀嚼、関節の機能に関与しているベーケン(粘液素)は怠惰な生活や意気消沈するような環境下でエネルギーの乱れを生じます。また3つの要素は「ニェパ」といわれ「体液」という風に訳されていますがチベット語では「苦しみを引き起こすもの」という意味でもあります。自身の生活行為から生じている自分の体質傾向を正しく把握し、日々の健康に努めていきたいものです。以下は一部ですが各体質に現れやすい兆候を挙げてみました。もっと自分の体質について詳しく知りたいという方は最寄りのチベット医師に是非ご相談してみてはいかがでしょうか?

 

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メンカン便り・4月7日

「ああ、ブータンよ、いつまでもこのままで・・・」ブータンを訪れた事のある日本人なら誰もがそう感じるのではないだろうか。そう言う私もそう願わずにはいられない一人でもある。「いつか幼い日に見たあの光景、あの笑顔」そう思わせる心象風景というものに触れさせてくれるノスタルジアな国なのである。

ここブータン国立伝統医学院でもマニ車の鐘の音に身を寄せ、しばし佇む観光客の姿を目にする。病院と言うよりは寺院の様相を呈するこの施設。近年国語(ゾンカ)推進を進める政府方針とは裏腹に実質英語使用が横行する中、未だチベット由来の梵語(教典文字)を教材に使用し、頑なにその英語訳を退けてきた。この国の医療は未だ仏教の一部として神聖なものであり続けているのだ。「それでこそ!」とブータンファンからの雄叫びが聞こえそうである。しかし国立伝統医学校(NITM)校長ドゥンツォ・ドフは「このままでは我が病院は歴史博物館になってしまう」と将来を憂う。西洋から新しい医療が導入され患者のニーズは高まった。また生活が便利になると共に新たな疾病(現代病)への対処も必要とされている。信仰の一部とも言える伝統医療もこのままでは時代の流れと共に形式だけのものに成りかねないと言うのである。そのためにはすべてのチベット医学の教典を研究室へと持ち込み現代の医学とマッチングさせていく必要性を感じる。思えば中国の流れを組む漢方医学も西洋という舞台で評価され今日の発展を迎えている。ブータンの伝統医学はブータン国民の心の一部である。いかに西洋の波に翻弄されようがそう簡単に揺るぐものではない。今日の西洋への仏教の流布がそれを物語っている。

 思えばブータンの国教でもある仏教の開祖ゴータマ・ブッダは一国の王子として生まれた。父であるシュドーダナ王は我が子の愛しさのあまり王子を全ての苦しみから阻害した環境で育てたのであるが、ある日王子が現実の世界を目にしたその日から王子の覚者に至る長い旅が始まった。このような話は世界中で多くの逸話として残っている。すべての生き物の成長は運命、一度殻からぬけた子供は二度と子供には帰れない。ヒマラヤ山系に閉ざされていた桃源郷ブータン王国は通信技術の進歩によって外の世界を垣間見た。自ら真実を見つける長い旅を始めたのである。

 

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メンカン便り・3月29日

街道沿いの桜草の桃色と、庭先の梅の香りに包まれた春のブータンでこんな話を耳にした。「私が初めてティンプーに来た頃は1年の半分が雪に包まれていた」そう語るのは日本の家庭料理を振る舞い連日常連客で賑わうセンターポイントレストランの女店主。今年の冬のティンプーは例年になく一度も積雪を記録していない。地球温暖化の話題は環境保全に取り組むヒマラヤの小国にまでも波及しているようである。

チベット最古の医学書『四部医典・ギューシ(rGyud−bzhi)』の中、「釈義タントラ」の章では病気の種類について大きく以下の4つに分類して説明している。

  @仏教の輪廻転生の考えの中で前世からの因果応報・業(カルマ)を原因とするもの

  Aいわゆる鬼神による影響と考え修行や儀式による治療を用いるもの

  B普段の習慣が原因であり医師の治療で治せる病気

  C治療を施さなくても自分で治せるもの

一般に外科手術を禁止してきた点や土着の信仰を背景にしているAなど少々我々の日常には馴染みにくい部分もある。しかし過剰に保護された医療によって保険制度破綻の危機を迎える日本の医療に対しCの考えなどは是非参考にしたい。また以前の便りで病気は心の状態(三毒)が作り出すと考えていることを紹介した。Bにおいては日常の心がけや生活習慣によって引き起こる病気のみが、医療者(他人)が患者に対してできる限界であるという考え方を説いていると同時に、この国の人々が病気に対しどのような心構えを持っているかを伺う事ができる。我々は重い病気を煩うと、どうしても「運が悪い」と受け身になりがちである。@の思考において患者は精神上病気の原因は自分の行いにあると自覚しており自分の病気に対し非常に前向きである。裏を返せば「仕方がないのだ」と治療に専念しないようにも思えるが、そういった患者はかえって腹が据わっており最後までジタバタしたりする事もないものである。

 先日、患者の葬儀のため火葬場に参列した。20代後半2児をもうけ人生これからといった矢先、白血病と宣告された。闘病の甲斐もむなしく若くしてこの世を去ったわけだが末期に至った時期においても家族の対応や患者本人の謙虚な姿勢には感動さえ覚えた。そして、この日一番驚かされたのは参列に参加した大勢の家族や知人が火葬を前にメソメソとしていない事。泣き崩れた母親は自らその場を離れた。彼らは明らかに現代日本に生活する我々とは異なる死生観を持っている。「死」に対する教義を持ち、その事を考える中で「生」の部分を確かな充実したものにしているように思えるのである。

ブータン伝統医学院 高田忠典

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メンカン便り・2月28日

1967年11月、第3代ブータン国王ジグミ・ドルジ・ワンチュックは国民の繁栄と伝統文化保護の目的で保健省に伝統医学施設の設立を命じた。これに伴い翌年1968年6月28日、首都ティンプーの郊外ディッチェンチョリンに初の伝統医学療養所が開設されチベットにて留学修業したペマ・ドルジ、シェラブ・ジョルデンの伝統医師2名が診療にあたった。この診療所が現在のブータン国立伝統医学院の前身となる。

ブータンの伝統医療を含めた文化および生活習慣が隣国チベットからの影響を大きく受けて発展した形である事は一目瞭然である。それにも関わらずこれらの文化はブータンこそがオリジナルであると主張している腑に落ちない政治的側面を垣間見る事がある。

ブータン政府が「自国の伝統」を支持するに至った背景には1950年代後半から次々に開国を迫られ文化の衰退の中、滅亡していったチベットやシッキムといった仏教王国の歴史の影響は大きい。その様な時代背景の中で世界へ向けて開国策を示す一方で国内にて進められてきたのが伝統文化の保護政策であった。

同じ様な傾向はチベット医学を継承するモンゴルや中国医学の流れを組む朝鮮半島といった国々でも見られる。外国からの侵攻への反発を基に自国の伝統医学を推進し国の威信をかけモンゴル医学、韓医学と命名し声高に提唱する。

一方6世紀以来長い歴史を持つ日本の漢医学は19世紀末、国の開国政策として衰退を余儀なくされ今日に至っても「医療従事行為」と位置付けられ医療行為としてさえ認められていない。

最近中国においても伝統医学の推進を積極的に国策に取り込み、アメリカ政府は5000万ドルの予算を伝統医学の研究費として費やしている。伝統医学が国策の道具に使われている様な言い方ではあるが結果的には実際の医療現場におけるサービス向上に繋がっている。事実患者においては治療の選択肢が増えるわけであるし伝統医学自体がその国の文化に根付いた精神医学や生活の心構えといった地域的な問題、世界水準の統計的西洋医学では補えない分野もカバーできるのである。ここ仏教国ブータンの伝統医学の最大の特徴は人の一生を生前から死後に至る死生観にまで昇華している点が挙げられる。

診察をするという医療行為と同時に地域の道徳教育にまで影響を及ぼす。実際にブータンの全ての医療者や国民が伝統病院に対しこういった点に意識をおきながら生活をしているかというと疑問も残る。しかし無意識に行っているこのような人々の生活を垣間見たとき、何か心に起こる懐かしさや憧れといった感情がその国に根づく「文化」の証ではないかと考える今日この頃である。

ブータン伝統医学院 高田忠典

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メンカン便り・1月30日

鉄道のないブータン内の移動はまさに車を駆使しての「山越え谷を越え」というものになるのだが、車窓から広がる景色のスケールの大きさにはため息の途絶える暇もない。

丘陵地に広がるミカンの里を越えしばらく走るとそこにはチベットの秘境ブータンのイメージからは予想もつかない熱帯の平原が広がる。時速70キロで進むこと1時間、国境の町ゲレフへと到着した。

ここでこれから3日間、年に一度の全国伝統医学会議が開かれ全20の県に赴任している伝統医(ドゥンツォ)達および薬剤師、病院スタッフ総勢35名が長旅の果て一同に集う。大都会(?!)首都ティンプーのドゥンツォ達に比べると地方のドゥンツォ達、陽に焼けていることもあるのかどこか素朴で荒々しい。会議進行の中、議長が「タシガン県ドゥンツォ!」との指名にスクッと立ち上がる様はまさに中国武侠伝の世界に紛れ込んだかの趣がある。会議は滞りなく進行されたが自由な質疑応答の時間にいたると地方のドゥンツォ達の間から多くの意見が交わされた。やはり地方格差や条件の異なる僻地で診療にあたる彼らにとっては年に一度の就労条件改善の機会、力の入りようが伺えた。しかし予想する困難や苦労にかかわらず彼らからにじみ出ている明るさや堂々とした姿勢が印象的であった。

一日の会議が終わると、かつては同じ釜の飯を食べて学んだ同窓生。輪を囲み雑談に花が咲く。隣に座っていた現在伝統医学校で教壇に立ち後続を指導するドゥンツォ・ダワが当時の学園生活を語ってくれた。「同じ屋根の下、校長1名、講師1名、朝は読経に始まり夜寝るまでずっと一緒。ティンプーも今のように車や遊ぶところもなく家族同様の共同生活。」日本では最近テレビでドラマ「白い巨塔」がリメイクされ医学界の愛憎劇が話題を呼んだ。古くから日本でも師弟制度の中「医は仁術」と学び、16世紀のフランスの外科医アンプロワーズ・パレも「わたしが処置をし、神が癒し給う」という謙虚な言葉を残した。ブータンの医学学校で実践されている家族的学舎の中でこそ医学者の精神と言うものは培われていくものなのだと考える。これについては西洋医学校卒業式の恒例でもある「ヒポクラテスの誓い」の中でも繰り返し述べられていることであり、チベット医学の教典の中でも同様に唱われている。相混じることの出来ない東西両医学の間にみられる調和の可能性がそこにみられる。

ブータン国立伝統医学院 高田忠典

 

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メンカン便り・2006年12月27日

ブランケットの中から伸ばす手でマッチを探り、冷たい部屋のストーブに火を入れるという作業が朝一番の日課となった。澄みわたる空気が放射冷却現象を引き起こし朝の目覚めを鈍らせている。ヒマラヤに住んでいる事を人に話すと「あちらは寒いでしょう?」と尋ねられることが多い。実際に住んでみると朝夕の冷え込みはあるが日差しの強い日中などは日本の冬の冷え込みに比べれば快適でもある。時には午後からインドより吹き上げる暖かい風に冬の厳しさも忘れてしまう事さえある。

ヒマラヤの南側斜面に位置するここブータンの医学伝統はインドから強い影響を受けている。体を構成する3大要素、ルン(風)、チーパ(火)・ベーケン(土)といった考え方はインド・アーユルベーダの医学系譜に由来し仏教の伝来と重複されることが多い。しかし一方、伝統医が行う診療の現場で気がついたことがある。診察で患者の脈を診る際「ツン」「カン」「チャー」と呼ばれる両手首3箇所ずつに静かに指を置き「5つの要素」を基に病状を探っていく。これはまさに日本では行われることが少なくなっているが我々にも馴染みが深い中国古典医学の脈診の手法と同じである。中国古典医学においてはそれぞれの部位が持つ意味として「寸(スン)」は手首の上1寸の場所、「尺(シャク)」は肘(側)を意味しており、その2点の境界になる場所のことを「関(カン)」とそれぞれ呼んで用いている。そこで伝統医に「ツン」「カン」「チャー」のもつチベット語の意味を訊ねてみたが回答を得ることはできなかった。史実によれば7世紀チベットのソンツェン・ガンポ王(581-649)は当時、中国・ネパール・モンゴル・トルコ・カシミール・インドから優秀な医師を招集し医療における会議を行ったとされている。その時代にしては画期的な試みでありその収穫が今日のチベット医学体系に集約されている。また大乗仏教がアジア各地に伝播された事から考えて逆に中国から伝統医学が伝えられていたという事も十分に考えられる。脈診におけるこれらの用語もその名残であろう。

思えば3年前この病院に初めて入局を申し込んだ時、保健省の担当から「あなたの治療法は中国のものであり我々の伝統医学とは異なるものですから」と丁重な断りの返答を頂き涙を飲んだ。もしあの時既にこの事実を知っていたなら、担当の方には得意な顔でブータンの医学史についてレクチャーをしてさし上げられたものを。非常に残念である。

ブータン国立伝統医学院  鍼灸治療室 高田忠典

 

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メンカン便り・11月12日

家族総出の稲刈りの光景に心和ます季節も過ぎ去り、首都ティンプーにも霜が降り始めた。冬の到来。朝の冷え込みとは裏腹に窓辺の向こうの山と空とが織りなすコントラストはあたかも等身大の絵はがきのようだ。乾燥した空気がどこまでも蒼白な空の色に更なる透明度を与え見た事もない大気圏外との近さを感じさせている。伝統治療院の患者さん達、日陰の寒さを避け日の当たる場所でおしゃべりをしながら自分の順番を待つという光景が日常となった。

今回は理学療法治療の中でも「セイカップ」という治療法について紹介する。「セイ」は金(Gold)、「カップ」は鍼を意味しており「金鍼療法」と呼んでもよいだろう。日本で使われている鍼と並べてみても(写真上)鍼と言うよりは「コテ」に近い。皮膚に刺すのではなく火で鍼を暖め(というよりは炙り:写真中)皮膚に接触させて用いられる(写真下)。以前、日本でも同様な療法がリウマチの治療に用いられたと言う話を聞いた事があったが現在にこのような療法が残っていた事には驚かされた。一昔前の日本でもお爺ちゃんお婆ちゃんが「やいと」と呼ばれる大きなお灸を背中に据えていた光景を目にした事のある人も多いだろう。それと似たような効果がこの療法にも期待される。

少し専門的な話になってしまうが世界中の療法を比較した時、特に先進国と途上国では刺激の量の違いに気づかされる。最近巷に溢れる「足つぼ療法」が良い例だ。英国式と称するそれは触っているのかいないのかと言う程の印象に比べ、台湾式と呼ばれるものは「そこまで憎しみを込めなくても」と言う程に苦痛を伴う。同じ効果をねらう療法であっても片や先進国に多い精神的疲労を訴える患者は一般に穏やかな刺激を好み、途上国に多い肉体疲労を訴える患者は強い刺激を好む傾向がある。日本で使われている鍼に関してもここ数十年でどんどん細くなり髪の毛ほどの太さにまでなった。それではブータンでは?最近都市の発展と共に若い層を中心とした世代交代が著しく見られ患者の「金鍼療法」離れが見られる。それでも「金鍼療法」をうける事を自ら希望される患者さんもまだまだ多いのも事実である。かつてここチベット圏では生活環境は厳しく、その中で生きる屈強な人々が病院にかかるとしたら相当な状態になった時に限られたのではないかと考察する。そういった環境の中で編纂された古典医学の系譜を忠実に守ってきたブータンの伝統治療が現在初めて豊かになっていく患者達を迎え新たな変革に直面している。しかし古典の中にはそういった患者に対する治療法の記載がない。そのようなタイミングの時に私は伝統病院に入局した。当初「これは中国の伝統医療であって我々のものとは異なる。」とかたくなであった伝統医達も日本からきた鍼治療の「金鍼療法」との類似点や何よりも苦痛を伴わさずに効果が上がっている点に少しずつ興味を持ち始めている。元々チベット医学の歴史をひもといた時、全ての療法は近隣諸国からの強い影響を受けきた。「金鍼療法」に関しては中国からの影響が大きい。17世紀以来、幾たびの時代の変化と共にその背景とする仏教の寛容さを元に常に新しい療法を取り入れてきた。現在置かれている境遇もその歴史の1頁に加わる事となりさらなる発展をとげていくことだろう。

ブータン伝統医学院 鍼灸治療室  高田忠典

 

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メンカン便り・10月16日

病院の切り立った小川の向かいにはア パ・ドペ(Ap Dawpel/アパは「お父さん」 の愛称)と呼ばれる老人が住んでいる。 数年前優れたブータン民謡の歌い手とし て国王より勲章を授与された。最近小川 に架けられた橋を渡りこの老人が院内に 設置されているマニ車を毎日廻しに訪れ るようになった。気分が乗っている日に は彼の歌声がマニ車の奏でる鈴の音と共に中庭に響き渡り治療に当たる側、受ける側、し ばし老熟した響きに耳を傾けている。

さて、今回は薬の話。現在ブータン国立伝統医学院内、調剤研究所(PRU: Pharmaceutical and Research Unit)では98種類の処方薬が製造されている。丸薬、タブレット、粉剤、 シロップ、カプセルが所狭しと薬棚に並ぶ。伝統薬の原料の殆どは国内で産出、一部はイ ンドから輸入されている。原料となる植物、鉱物、動物材料は各地から一端首都ティンプ ーの調剤研究所に集められここで調剤された後全県の病院に配布されていく。

ブータンはその特異な地形の恩恵を受け多様な植物相を見せており古くから近隣諸国か ら「薬の国」と呼ばれていた記録が残されている。600種以上の植物が確認されておりその中の300種ほどが薬の原料として利用される。海抜200Mというジャングルでは インドのアーユルベーダー由来の薬草が採取され、また渓谷では地中海性の植物も確認さ れている。特質すべきは7000M級のヒマラヤ山系からの珍しい豊富な植物原料である。

現在この国では高山植物における生産技術がないため6月から8月の間、伝統治療院の職 員が交代で片道5日の行程で山に入り(首都ティンプー2300Mでも十分に山の上では あるが...)原料の採集に当たっている。山小屋で乾燥させた材料はティンプーの工場の倉 庫で1年分の薬のストックとなる。もちろんこうやって作られた薬は患者に無料でサービ スされている。

ブータンが世界に誇る医療の無料サービスではあるが現在、開発に伴う人 口の増加で医療費の問題を抱えている。西洋式の病院で配布される薬はすべて外国からの 輸入に頼っているため、しばし薬のストックが尽き私営の薬局で購入しなければならない という事態が既に起こっている。政府保健省はこれまで全県に伝統医を配属させたが近い 将来その傘下にある診療所(BHU: Basic Health Unit)にも伝統医療従事者の派遣が計 画されている。伝統薬が普及すればそれだけ薬の占める医療費が削減され未来における無 料サービス継続が可能となるであろう。世界に先駆けた小国の取り組みである。

ブータン伝統医学院 鍼灸治療室 高田忠典

※マニ車:経文が中に納められており1周回すたび納められた経文を1度読んだ御利益があるとされる。

 

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メンカン便り・9月5日

9月に入っても雨が未だに多いブータンですが沿道には桃色のコスモスが風に揺らぎ始めました。秋の訪れとティンプーチェチュ(祭り)の季節が近づいています。気候も涼しくなり伝統医学院へ来られる患者さんの数もピーク時に比べ少し落ち着いてきたようです。

本日は皆さんにも首都ティンプーにある国立伝統治療病院を訪れ模擬体験していただこうと思います。

 クロックタワーから車で5分。駐車場に車を止め正面の受付の列に並んで頂きます。開院時刻の9時から10時頃までは多少混み合います。待ち時間が嫌でお時間にゆとりのある方はそれ以降の来院を、逆に患者さんの顔ぶれや治療を見学されたい方は早い時間のお越しをお勧め致します。受付では「名前・出身の村・年齢」をお知らせ下さい。受け取る診断書にはそれらが記載されてありますがすべてゾンカ語(ブータン公用語)による記入です。

診断書の左角に書いてある診察室の番号に従い中庭向かい側の部屋にドゥンツォ(伝統医師)を訪ねて下さい。小さな部屋に入りましたら笑顔で迎えるドゥンツォの傍の椅子に腰掛けます。言い忘れましたが殆どのドゥンツォは英語が話せません。ゾンカ語をマスターされていない方は是非通訳と一緒にご来院下さい。通訳もいない、そういう時は非力ながら私がサポート致します。隣の部屋、鍼灸治療室をお訪ね下さい。医師は注意深く問診・触診・脈診、時には尿をみて診断します。診断書に通常3種類の処方が記入され生活指導を受けます。「肉とニンニクは禁止」といった感じです。

診察が終わったら院内薬局で診断書に記載された処方を受け取りに行きます。処方箋を渡したら待ち時間の間、待合い椅子の前に設置された2つの大きなマニ車を回す輪に参加しましょう。マニ車の中には薬師如来の経文が収められており1周回すたびに経文全部を1通り呼んだのと同じご利益があると言われています。欲張って回しすぎて体調を壊さないように注意が必要です。カウンターの中から名前を呼ばれます。薬を受け取って下さい。「朝:丸薬3錠、昼:錠剤3錠、夜:カプセル3錠、1週間分です」。怯んでしまう量ですが処方に従って頂ければ副作用はございません。診断書は個人で補完され次回再来院される際にお持ち下さい。「え?終わり?!私は蒸気浴や金鍼療法を体験しに来たのですが。」という方もいらっしゃると思います。

ブータンの伝統医学では治療法を大きく3つに分類しています。

@ジャム・チェー(優しい療法):香を焚く、薬の食用、軟膏を皮膚に塗る、マッサージ

Aツプ・チェー(荒い療法):鍼灸や瀉血

Bタク・チェー(荒々しい療法):手術や人工妊娠中絶

このうちBは現在伝統医学院では行われていませんが@の優しい療法を試みて改善が見られなかった場合Aの療法が勧められています(@の中でもまずは薬だけ)。しかし実際のところは施設が小さいため人気のある療法は受けいれる人数が限られているという理由もあります。本日の処方を試された後、再度ご来院下さい。それでも「蒸気浴を受けるために高い旅行費を払ってブータンに来たのに!」とおっしゃる方、ふたたび鍼灸治療室を訪ねてみて下さい。事前に連絡頂ければ尚アレンジがしやすくなります。他の途上国につきものの「お金さえ払えばどうにかなる。」という悪習と異なり「お金をつまなくてもどうにかすればどうにかやってくれる。」もちろん誤解があっては困りますが良識の範疇に限定されます。一昔前の日本の田舎を彷彿する小国ブータンの人々の愛すべき特質ではないでしょうか。

「会計はどちらで?」実際に来院された外国人の方からもよく聞かれる質問です。ブータン王国のポリシーです。お代は一切頂きません。それでは気が収まらないと仰せになられる方のために受付の横に募金箱が設置されています。募金頂いたお金は一端保健省に届けられその後、国内の保健医療のために役立てられています。

ブータン国立伝統医学院 鍼灸治療室 高田忠典

 

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メンカン便り 8月2日  

伝統病院の傍らにはティンプー川にそそぐ小川が流れている。深く切り立った斜面が住宅の密集するムテタン方面の患者達の足を分断しているため、彼らは一端町まで下りそれから重い足を引きずって小高い丘を登り来院しなければならなかった。今、その切り立つ小川に架かる橋の完成が間近となった。小さな国のうれしいニュースである。

ブータン国立伝統医学院(Institute of Traditional Medicine)はブータン政府保健省医療サービス局(Ministry of Health, Department of Medical Services)の管轄下にあり、国立伝統病院(National Traditional Hospital)、国立伝統医学院(National Institute of Traditional Medicine)および、製薬研究所(Product and Research Unit)が小さな敷地の中で、のどかにひしめき合って運営されている。この世界でも有数の政府直営国立伝統病院は純粋なチベット医学の系譜をもつ。

患者たちは中庭に設置されている大きなマニ車を周りながら診察の順番を待つ。病院と言うよりは寺院に紛れ込んだような錯覚をえる。学校の3階には薬師如来を本尊とする仏間があり医学生たちの朝夕欠かすことのない祈りの声が響き渡る。また毎月1度「8の日」には病院スタッフによる法要が行われている。通常行われている法要のように外部から僧侶が呼ばれることはなく儀式から祈祷まですべては伝統医達の手で執り行われる。一般客の参加も可能なので機会があれば是非立ち寄っていただきたい。参加者から募る100Nu.のお布施がこの施設の貴重な運営費となっている。このように医療機関としての役割だけではなく寺院としての機能も果たしており信仰深い人々の間で伝統医療が生活の一部として取り入れられていることが伺える。

さて話は変わるが今年は例年より雨が少なく暑い夏を迎えているブータン。来院される患者さんの中にはひどい頭痛に悩まれる人達がここ数日多く見られる。日本でもこの時期に多く見られる熱中症と思われるが、特に昼と夜の大きな気温差が拍車をかけているようだ。また同じ頭痛といっても数種類の原因に分類される。ここで多く見られるのは額から側頭部にかける痛み。これは慢性的に胃が熱を持った結果起こる症状であり、習慣的に寝る直前に大量のディナーをとるブータン人ならではといえる。

この時期、ブータン人宅で行われるディナーのお誘いには要注意。 高田忠典

 

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メンカン便り 2006年7月13日

ヒマラヤの中腹、ブータン王国で3度目の夏を迎える。見慣れた朝の田園風景だがこの時期になると一層新緑が深さを増し、朝露とまじりあった青臭い匂いがあちらこちらで立ち込め、その間を縫うようにティンプー川が銀色に光るスイープを描き緑の谷にそそぎ込む。その川のほとりティンプー城から見上げた丘の中腹にブータン国立伝統医学院はある。

この世界でも有数の国立伝統病院はブータン政府保健省の管轄下で西洋病院と併用して運営されており、首都以外の地方病院では同じ建物の中で西洋医と東洋医が共に診療を行っている。一般に先ず西洋医の薬を試み、それでも効果が見られず東洋医にかかる人が多い様に見受けられるが、年配の患者等は先ず東洋医に伺いをしてから治療を始める人たちも多い。中には西洋薬の副作用を懸念して東洋医にかかるという知識層も見られる。近年日本でも徐々に始まった統合医学の動きが、すでにここでは完成している。

病院を訪ねるすべての患者は例え外国人であっても無料でサービスを受けることができる。仏教を国教にもつこの国では医療制度においても慈愛に満ちたシステムが採用されているようだ。過去に人口増加が懸念され国民の医療負担が一端は可決されたのだが、賢明君主で名高い国王の要請もあり現在も無料でのサービスが継続されている。治療費の負担が大きく継続治療が困難な日本に比べ治療成績が高い事は予想される。確かなデータが無いため断言は出来ないが少なくとも私の治療の成果の上では立証が出来ると思う。慢性疾患に対してより効果を発揮する伝統医学の発展にはこうした国の制度によるサポートがその背景に必要である。「明日も来てね。」と気軽に患者に言える伝統医療制度が日本にも望まれる。そういった努力が結果的には国民の疾病率を低下する事に繋がり、やがて保険料の問題による苦しみも緩和されていくのではないかと思われてならない。

最貧国に数えられ、辺境にあるこの国ではあるが、病院内ではマニ車についた鈴の音が心地よく響きわたり訪れる患者の顔には笑顔が絶えない。

※マニ車:経文が納められており1周回すたび納められた経文を読んだ御利益があるとされる。

 

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