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のろ亀館長の ブータン写真旅日記(1983年から2013年まで21回) 

ブータン館写真旅日記 番外編 ラオス写真旅日記   古の耽羅国・済州島   ホテル・エベレスト・ビュー    青藏鉄道    遼東半島    ミャンマーの旅

 

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  成田からラオスへ   続き    最後のページ  

23日(月)

8:00 バスで 250km 先のシェクワンへ向かって出発      ブータンだったらごく普通の曲がりくねった道が約6時間   長時間のバス旅がけっこう好きな私

9:15 美しい雲海

 

途中で寄り道

9:46 ナミン村(カム族の村) の小学校へ   カム族はモン・クメール語族系民族   タイではカム族、雲南ではクム人と呼ばれる

    

川の先の向かって右に固まっている集落               道路標識                      崖の上のフェンスの中が小学校

 

       

小学校のプレート、らしい     校庭     休み時間だったのでダンスを見せてくれたがとても優雅(黒いスカートのように見えるのはシン)  教室

 

10:00〜11:00 村内見学         

      高床式の家の材料は大部分が竹、まるでブータンのシェムガンやドヤッパの家を見ているよう                     

               

                         野鼠(町鼠は不味い)の内臓を抜き、毛を焼いて、イカ干しのように串刺にして広げ、燻製にして保存  内臓は別途食用に        

     魔除けも竹製      酒麹?

 

13:00〜14:00 昼食 

        

      

  出発までの時間を利用して、町散策

  「仏教国恒例の風鐸捜し」をするも、ラオスのお寺には風鐸を下げる習慣がないようなので、替わりに町の鍛冶屋でパイプを切断して作った水牛達がしているカウベルを購入

  様々なサイズの中からやや高音の涼やかな音のを選ぶと、鍛冶屋のおじいさん、数字を書き並べた紙の 15000 のところを指さした

  言い値で支払うと、思いっきりの笑顔 ・・・・ ウ〜ン、これはかなり吹っかけたなぁ(笑) 15000キップは日本円にして230円強

 

15:30 モン族の村(ソンブーン村)  

              

    自動車道路から村を見上げる                     簡単でもいいので階段を作るほうがいいのでは? 雨が降ったら大変

 

       

     大好きな屋根裏観察                            茅を一列ずつ組んで、それを重ねて屋根を葺く

 

                   

     自作のコマをぶつけあって遊ぶ少年達         コマの大きさや重さに一定のルールを、などという心の狭さはない(笑)

 

    各家の軒先きに立て掛けられた様々な布をはった紙漉道具 

           

    竹の紙を2人から5枚ずつ購入 

    販売用や専業ではなく各家庭が正月祭事用に手漉きするため、たくさん持ってはいても「自分が使うので・・・・」と10枚は拒否され、5枚だけ譲って戴けて・・・・

    残り5枚はガイド氏が別の村人に交渉してくれて入手   

    自家用なので色も形もバラバラ、おまけに一部を切って使った跡もあったり(笑)

    

    青いレジ袋を持っている男性がガイドの Tさん

     ピンクのレジ袋には、彼が町で購入して来た手土産が

       菓子、石鹸、ノート、鉛筆、そして多量の歯ブラシ・・・・「子供達に歯磨き習慣をつけさせたいので、配って歩いています」

     ガイドに求められる資質(人柄、話題の豊富さ、素早い対応、etc.)は申し分なしですが、唯一の弱点が「接続詞の誤用」

      帰国後に専門家の「東南アジア言語には接続詞が少ないので、日本語を話すと誤用が起き易い」というお話を伺って納得

      「千葉県鎌ヶ谷市の親戚に数カ月滞在した経験があるが、今、数年の日本留学のためにお金をためている」

      「専門学校で学び実績を積んで来た観光ガイド以上の日本語を身につけて、進出してくる日本企業などでの通訳的な仕事を目指している」と

      自ら運を切り開く努力をしている人間には、必ずチャンスが向こうからやって来る

      頑張れ、Tさん!

 

    村全体

 

                            

18:45 ホテル着

19:30 ホテルで夕食

   米麺、細切野菜素揚(?)と青菜をとり、辛みのあるスープをかけて食す、美味!

        

 

ホテル着 

  さて、計40枚の手漉き紙をどうやって持ち帰るか? 

  今回は9日間の日程にも関わらず、パッキング名人技を駆使して(笑)、機内持ち込み可能サイズのスーツケースとリュックだけで来ているので

  そこはブータン30数年間に、一度に持ち帰った最大量70キロの実績あり

  荷造り道具は怠りなく持参  針金、ハサミ、大形ビニール袋、ガムテープ、紐類を動員し、着捨用のTシャツを切り開いて一抱えの荷物完成!

 

シェクワン泊 ( VANSANA PLAIN OF JARS HOTEL)

         部屋の前庭が好みの雰囲気

 

 

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24日(火)

午前中いっぱい シェクアン県 ジャール平原 へ                    このジャール平原では1961年に 参議院議員 辻政信失踪事件 が起きている

  巨石を削って作った大小さまざまの石壷(ハイヒン)が散らばっている

  諸説あるが、石壷のそばから人骨やガラス玉、石器などの日用品が発見されている事から、フランス人研究者による「石棺」説が有力視されている

  日本人研究者による実地検証と研究も行われているとか ・・・・ 論文を捜すも見つからず

     「石壺は古代モン・クメール族によって 紀元前500年から西暦800年に使用されたと考えられている」

 

  この地は インドシナ戦争 の激戦地のひとつで、「石壺群と石材産出地 & 石壺製作地である山」の計7ケ所の内、不発弾処理が済んだ3ケ所のみ見学可能

  サイト内には爆弾が落ちた跡が大きな凹みとなり草に覆われ、中には樹木に囲まれすっかり判らなくなっているものも少なくない

 

9:00〜10:00 電気自動車に乗り換えて サイト3

10:25〜11:20 サイト2

11:40〜12:40 サイト1 インドシナ戦争に関する展示建物  

 

何処へ行ってもフランス人観光客が団体で

 

爆撃で寺院が破壊された仏像断片     半欠けの石壺も多い    長い年月で樹木にぎゅっと抱き締められた石壺     石蓋説あり

石壺の外側に小さな丸い穴がたくさん空いているのは、インドシナ戦争時の銃弾の跡だそうで

   下の黒い所が洞窟の入り口    

                   内部の物凄く高い天井の頂上には煙り抜きの穴 火葬が行われた場所なので壁面は煤と脂がびっしり

 

 

UXO シェクワンの不発弾処理事務所    

シェイクワンでの不発弾処理画像(動画)   

「世界でもっとも多くのクラスター爆弾を落とされた国 ラオス」不発弾処理支援

        

                                                 地面から顔を出している半分白く塗られた碁盤くらいの石 

                                      不発弾処理の際、まず安全な通路部分を確保して、この石を相対に埋めて表示

                                      サイト毎の安全が確保されたので観光客を入れているので、全く問題はないが、

                                      足許に点々と標識の石が出現するのを見ているのは、正直、気が重い

 

 

石壺のような考古学的な展示と戦争に関わる展示が同じ建物内に置かれている、少々不思議な空間

  

 

                床の展示台に、横に長々と展示されているのは クラスター爆弾

 

  第2次インドシナ戦争時に、ラオスにはアメリカ軍によって300万トンの爆弾が投下されたという(当時の人口が300万人 ひとり1トンの爆弾)

  全ての不発弾除去にはあと200年かかると(100年という記述もあり)・・・・ 今も不発弾の爆発による被害者が絶えない(ニュース動画)

  ラオ語の説明文は全く読めないが、第2次インドシナ戦争報道をリアルタイムで見ていたため、展示されている写真の顔に見覚えのある人物多数

 

  受付で、撃ち落としたアメリカ軍戦闘機の破片で造ったという象の栞と小さなスプーンを購入し、まとめて支払おうとすると「制作者が異なるので別会計でお願いします」

          地球ギャラリー・ラオス」の3ページ目に「爆弾の殻を高床式家屋に利用した家」などの関連写真あり

 

  

13:20〜14:20 昼食

        

 

14:30 空港着 

    副首相がやってくるとの事で空港内はざわざわ

16:30 副首相の乗って来た飛行機に乗りいざ出発、加速し、飛び上がると思った瞬間、なんとストップ? 

    仕切り直しで出発

17:05 ヴィエンチャン の空港到着(1999年6月からは、日本政府の無償資金協力によってできたワッタイ空港新ターミナルが利用されている)

     「ラオスの首都 ヴィエンチャン は、メコン沿いに作られたラオス最大の都市で、16世紀の半ばごろにセタティラート王(1548-1571)により首都に定められ、

      現在も政治、経済の中心地で行政特別市となっている

      街並みはフランス植民地時代の古い建物と並木道、そして数多くの仏教寺院が混在し、アジアと西欧文化の融合が見られる

      17世紀にヴィエンチャンを訪れた東インド会社の商人やイタリアの伝道師らは当時のヴィエンチャンを東南アジアでもっとも荘厳な町であると評しているが、

      現在もその面影を見る事が出来る」 とモノの本に書いてあった

 

18:20 夜のタートルアン(ラオス唯一の仏舎利塔)会場へ

  これがおよそ宗教行事とは思えない騒音 耳に口をつけるように話しても全く聞き取れないほどのスピーカーからの音楽 

  大変な混雑で、不案内な人間にはいささか危険を感じる雰囲気

  タートルアンの塔領域に入るために、女性は必ずシンと呼ばれる一種の巻きスカートを着用しなければならず、ちゃんとレンタル業者がいる

       

 

19:10 夕食会場へ移動 

    ラオスの踊りと音楽付きの夕食・・・・ 私の苦手とする形態(笑)  食べるか、聴く&観るのどちらかにして欲しい!

            ラオ族の笙

 

 

ヴィエンチャン泊 (DON CHAN PALACE HOTEL)・・・最初のホテルへ

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25日(水)

6:00〜7:30  昨夜レンタルしたシンを身につけて、大勢の托鉢僧と喜捨をする人々でいっぱいの タートルアン祭

      タートルアン祭については、明石書店刊『ラオスを知るための60章』p252〜253の鈴木玲子氏(東京外語大教授)のコラムを拝借

  

国の大物達も必ず喜捨に来るという  この日も供物を持った首相御一行が目の前を通過 ・・・・ ?町にはためく「鎌と鎚」の党旗の基本精神と矛盾するのでは??

党が独裁体制を確立した時期には、托鉢は禁止され僧侶に耕作が強要されたという

これは、俗人からみれば、「功徳を積む機会を奪われた」事になり・・・・ 

結局、解除され、現在の状態になったという

 ラオス国旗と党旗

 

 

 数えきれない人で埋まっている

       

供養を受けるために全国から集まってきた僧侶    僧侶達の向かって左側最前列の白衣に頭を白布で覆っている集団は女性修行者(この日だけは彼女達も托鉢を許される)

 

            

 パー・ビアン(肩掛)は宗教的な場面では必ず男女共に         塔の下にもずらっと僧侶が     どんな人生を歩いてこられての出家でしょう・・・

 

女性のバー・ビアンは手のこんだ織模様なのに対して、男性は格子等の一見さっぱりしたモノが多いが、絹

毎朝の喜捨でも、女性は必ずバー・ビアンとシン(巻きスカート)でなけらばならないが、男性は洋服にパー・ビアンでも許される

勿論、男性も本格的には短い上着とゆったりした巻パンツ(いずれもシルク)を着用するが、その時でもさっぱり系

                 

    最近アジア各地で流行中の「結婚アルバム」撮影中カップル          チャンタソンさんの『ラオスの布を楽しむ』から拝借 p72

 

ホテルに戻って朝食

 

 

9:45 〜 市内観光へ

国立博物館   古代から現代まで順を追って展示してある             

 

 

ワット・シーサケット

     1818年、King Anou Vongによって建立されたヴィエンチャン最古の寺院で、市内で唯一、建立当時の姿

     本堂と回廊の壁を合わせると6840の仏像が安置されているが、その殆どはが度重なる戦いによって目に嵌め込んでいた宝石類や頭部の金細工等が取り去られ、

     残っているのはごく僅か とか

               

              

壁面の龕には小さな仏が2体ずつ 前面には仏像 このような壁面がずっと続く       不思議な事に、回廊のところどころに内側に傾斜した柱が・・・・?

 

 

ワット・ホーパケオ   修復中のため外観のみ

     エメラルド仏を安置するために16世紀に建立 18世紀シャム王国との戦いで建物消失、エメラルド仏は持ち去られてしまったという

     1936年、フランスによって再建

          

 

ワット・シームアン  全てにおいて、なんともきらびやか・・・

           

16世紀に王命によって建立されたが、その際、巨大な石が出土し、取り除くために

人身御供として若い妊婦(写真の女性)が石を抱いて穴に飛び込んだ事によって建立できた、という伝説から女性に人気がある寺

     

境内にはこのような感じの像がいくつもいくつも配置されている   ウ〜ン 表現に困る 昭和の遊園地?

 

  

10:50〜12:00 タラート・サーオ(直訳すると、市場、朝)市内最大のショッピングセンター  日常雑貨から宝石、電気製品、ラオス特産の絹、木綿手工芸も多数

        タラート・トンカンカム  タラート・サーオの隣にあるヴィエンチャン最大の生鮮食品市場。

 

 

パトゥーサイ(勝利の門)・・・・パリの凱旋門を模して作られた

     天井にはラオスの典型的なモチーフ、神々や3頭の像などのレリーフがある

     もともとは戦没者の慰霊碑として1960年から建設が始められ、新空港建設に使用されるはずだったセメントで建てられた

     朝の8時から夕方5時までの間は上に上ることが出来、ヴィエンチャン市内を一望できる

                  屋上で出会った少年僧

 

12:45 昼食

 

 

 

テキスタイル・ミュージアム へ移動 3時終了    

     ガイドブックには繊維博物館と書かれているが、正式には「ラオ・テキスタイル・ミュージアム」

     ラオ族以外の、ラオス国民他民族の染織品や衣装も展示されている   

     展示階は撮影自由、販売階は撮影不可(デザインが盗まれる事を警戒か?)        

     販売階に置かれている商品は、いずれも品よく上質で充分その価値はあるが、「軽い旅の土産」レベルではなく、染織品好きがその気で出す金額

    

      たっぷりの緑の庭に建物が複数配された美しい美術館                  館内の屋根裏が美しい  

        

       手前に整経台 後方にはかせ繰りが数台           手前に地機 後方に繭 

      

     

展示階に展示されている古布の一部   Bouavanh PHUMINH 館長のおめがねにかなっただけあって、さすがに見事    惜しむらくは管理状態

 

     別棟になっている工房                                 

      染色部門

 

民族衣装切手・・・中段にラオス諸民族切手あり

 

   

 

15:15 空港着  Tさんとお別れ

17:20 出発

ただの中継地のはずの プノンペン で飛行機を乗り換え(座席も替わり)、ホーチミン へ 21:15着

 

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26日(木)

00:25 ホーチミン

    妙な時間に出てくる朝食

    しっかり寝てしまったために、以前貰って愛用しちょっと草臥れて来た、お気に入りの「ベトナム航空のアイマスク」を貰い忘れる 残念!

 

7:45 成田

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10册近いにわか勉強参考書の内、以下が特に役立ちました

 

いろいろな事が調べ易くて便利なラオス地図が こちら に 

 

明石書店『ラオスを知るための60章』  総合的参考書として安心できるお薦め書

 

アートダイジェスト『ラオスの布を楽しむ』  チャンタソン・インタヴォン著 

以前、余人を交えず、著者の個人的解説つきでコレクションを手にとらせて戴く機会に恵まれ、

王族の婚礼衣装までのハイレベルな染織品の数々を眼にしてから時間が経ち・・・・やっと

専門的でなくてよい、というレベルでのラオス染織全般の参考書として最適

 

新版が出たばかりの『地球の歩き方 ラオス編』にもお世話になりました

そして、読むのはちょっと大変でしたが、『激動のラオス現代史を生きて 回想のわが生涯』(プーミー・ヴォンヴィチット・著  平田豊・訳  めこん・出版)も

 

 

日数のわりには長々と、写真数の多い旅日記に最後までおつきあい戴き有り難うございました。 

 

 

成田からラオスへ  続き  最後のページ

 

  

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のろ亀館長の ブータン写真旅日記(1983年から2013年まで21回)

  

ブータン館写真旅日記 番外編

ラオス写真旅日記   

古の耽羅国・済州島

世界一標高の高い「ホテル・エベレスト・ビュー」 3880mに建つホテルに泊まるためだけにネパールへ!  

チベット写真旅日記  青藏鉄道に乗って15年ぶりのラサへ!

  遼東半島  7回めの中国は大連、旅順、アジア号、ヤマトホテル、満鉄、路面電車、粉食 etc.

ミャンマーの旅  安井昌二の「ビルマの竪琴」が映画元年世代憧れの地

 

未掲載 

中国、韓国本土、台湾、カンボジア、ベトナム、タイ、インド、ウズベキスタン(サマルカンド)、パキスタン、

モンゴル(ゲル作り馬キャラバン)、イギリス、ドイツ、フランス、オーストリア、イタリア、スペイン、スイス 

 

 

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