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のろ亀 の
第21回ブータン旅行写真旅日記
メラ・サクテン写真旅日記 このページ 続き 最終ページ
11月27日更新
メラ・サクテン・トレッキング (実態は トレッキング ではなく 登山
です)
2013年9月29日 〜
10月10日
昔から待ち望んでいたメラ・サクテンへの立ち入りが許可になったのは、2010
年でした。
メラ・サクテンへの旅は、カギュ派(ドゥルック派)とニンマ派が圧倒的多数の国ブータンで、数少ないゲルク派の地を訪ねる旅です。
そして、メラ・サクテンは、西ブータンに多かった姉妹婚に対して、兄弟婚の行われる地域
解禁以降もなかなか実現できなかった日々・・・・・
ある登山グループ旅行が計画されている事を知り(リーダーは25年以上の知人)、邪魔にならぬよう「ひっそり」と参加させてもらって実現した旅でした。
(
ブータンの山々は聖地だと思っていて )登山に全く関心も知識もなく、文化(人間のなす技)
に一番の価値を認めている「のろ亀」の登山技術はゼロ!
ラヤ・トレッキング(歩き距離 106
キロ)の半分ほどしかない行程ですが、足許が危なくて、登山素人には写真を撮っている余裕がなく、危険な道の数々は写真がありません。
通常1回の旅で 1500
枚程度の写真が残るのですが、今回は4分の1ほどの枚数でした。
しかし、のろ亀 21
回のブータン旅行の中で、ベスト5に入るほどの収穫がありました。
想定外がひとつ
10月ということで蛭対策(東ブータンの特産品、希釈したレモングラスオイルを噴霧する)を怠ったため、2個所噛まれ、
メンバー内でも数人の被害者がでたことでした(頭頂部を噛まれた人も)。
ひとことお断りを・・・
今回は、(いつものブータン旅行のような)事前に可能な限りの下調べをし、現地で聴き取り、裏づけをとり、
という欠かす事のできない手順を踏んでおりませんので、この「写真旅日記」の記述にはいくつもの疑義があります。
その点をお心にとめて戴いて、あくまでも「短期間に限られた情報源から知り得た情報に過ぎない」としてお読み戴きたくお願い申し上げます。
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9月29日(日) 深夜
羽田集合
30日(月) 羽田 = バンコク = ゴハティ(インド) = サムドップ・ジョンカル(ブータン) 宿泊:サムドップ・ジョンカル
インド・アッサム州のゴハティ空港で飛行機を降り、チャーターしておいたインドのタクシーで、ブータン東端の国境サムドップ・ジョンカルから入国
標高 168 m 17年ぶりのこの門、あまり変化なし
プンツォリンの門よりはシンプル
街は大きく変貌していた。
規模は大きくなっていたが商取り引きの中心地ではなくなっているために、どことなく閑散とした感じ
個人的に、ちょっと国境の門を越えてインド側のメラ・バザールへ行き、ブラ(野生種の絹)のマータ・キラを購入
ブータンで購入するより安価、はて?
ブータン産と思われているブラ織物やブラ糸、ラックなどの染料の少なからぬ量がここで商われている
メラ・バザールには、メラ・サクテンの人々も買い出しに来るとか
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10月1日(火) サムドップ・ジョンカル = ラディ 宿泊:ラディ
11:38 2322m 東ブータンの山々は緑が濃い
12:04 2436m ランチタイム
スタッフが、残り物を混ぜ合わせて、ちゃんとしたご飯にして、大地を汚す事のないようにビニールや段ボールを敷いた上に置いて、大人しく待っていた犬達に
13:28 カリン ファーザー・マッケィ(マッキィ)によって設立された学校の門
クェンセル(ブータンの老舗新聞)の記事写真
カナダのキリスト教神父ファーザー・マッキィは、ブータンの近代教育に貢献した特筆すべき人物のひとり
その功績により国王からブータン国籍を与えられた
欧米人でブータンの民族衣装が似合う方はめったにいませんが、スッキリとゴを着こなしたその姿は素敵でした
13:30 カリン通過
14:54 2581m ヨンプラ空港(国内線)
昔からヘリポートがあった場所を拡張して飛行場にした
近くにはブータン陸軍の訓練場やヨンプラ・ラカンがある
TV画像(USAさん番組)で見た時には、航空母艦からの発艦を連想させるような状況
なんでもその傾斜が滑走路として許容されるギリギリであるそうです
我々の後にメラ・サクテン・トレッキングに入る予定だったグループはこの空港が使えず(天気の都合)パロへ引き返したとか
15:52 遠望
シェラブツェ・カレッジ 今も昔もブータンのエリートが集まる学校 1847m(16:09 門)インド風の門前には賢気な若者達が
かつてはデリー大学のカレッジという位置付けだったので卒業証書もデリー大学になっていたが、今は独自の証書を発行している。
17:15 1985年以降何度めかのタシガンの街の膨張と、あまりの変貌ぶりに驚くばかり
バスが進む道もランジュンの街も、驚くばかりの変貌を!
18:30 1230m
18:39 ラディの宿 テラスに置かれたタシン(三角後帯機・地機)には織りかけのブラが・・・・ブラの名産地
宿のオーナーがのろ亀を知ってる!?
でも、のろ亀はあった記憶がない!?
元M旅行会社に勤めていた事があるので、経営者夫妻(DさんとKさん)から聞いていたとか ・・・・ 悪い事はできない(笑)
19:30 夕食
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2日(水)
さぁ、15世紀から17世紀の間、女神ジョモに導かれてブータンに移り住んだという伝説を持つ東端の人々、「ブロックパ」を訪ねる旅に出発!
20年近く前にブータンの友人達の協力で、メラの男女衣装、サクテンの男女衣装のアンティークを入手したり、
ブロックパの人々の避寒地であるタシガンやカリン、ラディ、ランジュンなどで出会ったり、
冬の間、巡礼バスを仕立ててブータン各地の聖地巡りをしているのに出会ったり、と何度も快く写真を撮らせてもらう機会はありましたが、
その生活の場所をどうしても体感しておきたかったのです。
無事にメラ・サクテンに辿り着く事ができれば、通常ブータン人としてイメージされるキラとゴを着ている人々の他に、
衣装、婚姻、生活様式、(時には言語)が異なる4つのグループ(北のラヤッパ、南のドヤッパ、亜熱帯のモンパ、東のブロックパ)
の生活拠点全ての地を実際に踏む事ができることになります。
トレッキング・ルート図
注・のろ亀が高橋洋さんから託されたGPSのデータを基に作成されたこれら6枚の図の使用に際しては、著作権者・高橋洋さんの許可が必要です。
2日(水) ラディ ==== メラック テント泊:メラック
07:00 出発
07:14 トレッキング地点へ行く前に、乗って来たピッカピカのコースターバスを尼寺に預けに行き、その後ジープタクシーで
09:13 3236m
モン・ラプツェ(ラプツェは峠の意) トレッキングスタッフと馬達と合流
地元スタッフ、馬、馬子などを仕切るのはソナムさん(向かって右端 ビッグボスと呼ばれている)
この時点でスタッフは、ガイドのプブ(プルパ)さん、ガイド助手のサンゲさん、ドライバーのキンガさん、
トレッキングスタッフは、ビッグボス、ケサンさん(Wさん御贔屓)、コック2人、アシスタント1人、乗用馬の馬子1人の計9人、
荷運用の馬が 19 頭、乗用馬が
2頭 ・・・・ 確かに大名行列だ! ・・・・
のろ亀が間違っても日本の山に行かない一番の理由(笑)
10:20 3348m トレッキング開始
(著作権・高橋洋氏)
11:21 ブプツ・ツェ(ツェ
は峠の意) 3393 m
プブさん、久々の帰郷とあって仕事中なのに(笑) パチリ!
12:08 トクシマ(地名) 3201
m 手入れの行き届いた壁画
グル・パドマサンバヴァの壁画の横に、マニ車を手にするブロックパ衣装の男女の絵が描かれている
12:30 3352m ランチ
折り畳み式のイスとテーブルが用意され
出発時店で調理され運ばれて来たランチは保温容器に入って ・・・・ 贅沢な事です
14:03 3307m 乳の出る石

向かって左下に乳房に見えなくもない二つの突起が御神体 お参りに来た人たちのお布施が・・・・
14:13 平坦な道
今回のコースでは数少なかった平坦な道
14:17 登山技術のないのろ亀には渡るのが難しい
沢登り大好き人間の S 氏
は足場を選んで、スイスイと
14:37
今回のコースで中レベルの道
14:48 3309m
この塚の名称不明! ご存じの方がいらっしゃいましたらご一報ください。
14:50 3313m マニ壁(東ブータンではマニ・リンボという)
今回の旅では、今までのブータン旅行でもっとも数多くのマニ壁を見ることができた
14:51 3317m ドンメラ・ラプツェ
ゲンゴ村の人々の迎えの宴 東ブータンでは酒が出されるが、多くのブータンの地では「バター茶」、北方ではヨーグルトの事も
向かって右端はプブさんとお母さん

女性の赤い上着(ドドン)は手の込んだ両面縫い取りが施されているが、常着としては裏返して着るようである
赤いドドンと白いドドンの着用法、赤いシンカ(貫頭衣)と白いシンカの着用法、さらにはウォンジュの転用、などなど、
この20
年ほどの間の女性用衣装着用法の変化に関する情報を得る。
なお、赤いほうはブラ(野生種の絹、桑ではなくヒマやウコギを食する)、白いほうはイラクサの糸で織られる。
15:38 3358m マニ壁の横には文明の利器(?)

15:40 3359m ゲンゴ村入り口 再びの歓迎の宴
15:57 3364m 風情のあるチョルテン
チョルテンやマニ壁が生きている証である「スン」が
盗難にあっている
という嘆かわしい事態になっている
16:40 3477m
役所のゲストハウス前に張らせてもらったテント村 (ちょっと離れている萌葱色のテントはトイレ)
メラックでの我が家(表札付き)

役所のゲストハウス 夕食後、のろ亀の恒例セレモニー (
一番標高の高い宿泊地で 「 虎屋のおもかげ 」 を楽しむ
) にS夫人の干菓子と抹茶を
夜間の犬と馬の騒音に関して、翌日のプブさんの説明(言い訳?)が傑作
「動物達は、自分がえさを貰っている村を守っているつもりなのですから、我慢して下さい」
続き
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