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リパ御夫妻、ヤクちゃん、のろ亀の「ハを味わい尽くす超マニアックな旅」

 

ジュネダ の チョルテン・カンニム

 

 

行程図

12月1日〜3日 成田、バンコク(ゴハティ経由)パロ、ティンプー、ハ    12月4日〜6日 ハ    12月7日〜9日 ハ、パロ、バンコク、成田

今回は、パロ空港から入国し、ちょっと首都テインプーに行き、その後ハに4連泊、ハから峠を越えてパロへ戻って出国、という狭い範囲での行動 

 

今回の主目的地ハは、徒歩で山越え2日もあればシッキムへ辿り着けるため、ブータンの中で最も早くからチベット以外の文化(インド経由の西欧文花)の影響を受けた地域

1958年にネルー首相が、後に首相インデラ・ガンジーとなる娘を伴って、山越えで初のブータン入りをした地である

 

かつてのハは、現王朝の宰相役であり外界への窓口(カリンポンにブータンハウスという1種の外交公館的施設を保有していた)であったドルジ家の領地であり、

ブータン女性で最初に外国留学した三代国王王妃(アジ・ケサン)の実家であり(母上はシッキムの王女)、

西欧式学校教育発祥の地であり、

etc. etc. ブータンの近現代史に関心がおありの方には、どうしてもここをぬいては・・・・話が見えません、という地

そのあたりにご関心がおありの方はお手数ですが こちらへ おはこびください

 

現在でも駐留インド軍の中心地であり、国境(チベットとの国境)警備の最前線である

米が採れない地域ではあるが、貿易その他で豊かなために、他の地域に較べても家が格別大きいのが特徴のひとつ

 

 

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2010年12月1日(水)

成田空港標高41m

    元JOCV(青年海外協力隊)体育隊員の關さんから、ブータンの生徒達のためのサッカーボール等20キロを預かり、我々の荷物として運ぶ

    これで数万円の送料が浮いてその分を体育用具購入に当てられるぞ!

    そこそこ旅なれたメンバーのため荷物が少なめで、その分預かりものができる

 

バンコク River View着  11:05(バンコク時間)

 

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2日(木)

5:00 ホテル発

7:30 バンコク発 ゴハティ経由 所要時間4時間15分

 

10:08(ブータン時間)パロ着

10:30 空港発  

   ガイド:キプチュさん ドライバー:ボップさん(マスクダンスで使われる恐い面ボップに似ているので・・・笑)

 

11:55 ティンプー時計塔で、高度計を標高2400mにセット

 

ランチ(オーナーはダショー・サンゲ・ペンンジョールご子息)  本当は酒が主体の店だが本格的なブムタン料理をお願いして

ブータン近代史説明:ダショー・サンゲ・ペンジョールとは、3代4代国王時代に閣僚の中核をなし、初代国連大使を務めた方

NHK発行の『遥かなるブータン』のp6 に「ロンポ・サンゲ大臣」として写真の出ている方

 

 

2:30 伝統医療病院終了 

 

JICAブータン事務所にて野暮用片付け・・・・・關さん荷物20キロ引き渡し、 

                           赴任国概要時で面識のあるK専門家とN所長お子さんにクリスマスチョコをプレゼント

                           赴任国概要時で面識のあったY専門家が再赴任していてビックリ

                           女キンレイさん、懐かしのMr.キンレイ・ドルジお元気、

                           Rさん(「世界の富豪に嫁いだ日本人」というTV番組でとり上げられた方)が柔道師範と供に登場にビックリ(あちらのほうがもっとビックリ)

 

金銀細工師の工房がデチェンチョリンからティンプー市内に移動し、その後なくなったと聞いていたが、まだ職人達が仕事をしているということで出かける。

                 

イヤリングを作っているというので冗談かと思ったら、大きな仏様のだという、納得         大好きなドゥルダ(骸骨 墓場の守り)

 

 

織物博物館 

以前に較べて展示内容もずっとずっと良くなっていたが、聞けばブータン人自身の手になる展示とのこと、結構、結構!   

懐かしのシンゲ館長さんがゾンに行っていて留守であえず残念

ツェリンさんはとても元気そう

          

                   男性がタシンで織っているのを見たのは初めて     これは王様用とのこと  見事なメト(模様)の施された ルンセルマです!

 

 

4:15 土地神様 (タシチョ・ゾンの裏手に見える特徴的な赤い建物)

         何度か行こうとしたが、入り口が判らず諦めていたのをやっと

         土地神様の名は、「ドルジダツェン」「ゲニェンゴモ」のおふたりとか 

 

           

                              ツォメンの住む池  ブータンの寺院でこのような形の蓮池を見るのは初めて

 

上半身が娘、下半身が蛇の姿をした水の神ツォメンの物語はこちら

 

 

4:15〜5:10  タシチョ・ゾン

       毎度お馴染みなので写真省略

       今までになかった事と言えば・・・・ゾンの中でも携帯電話がかかって来て N所長と暫し会話した事でしょうか(笑)

 

 

夕刻からツェリン・ドルジさんのお招きでご自宅での夕食をご馳走になる・・・・奥様お留守が残念 

国家公務員を辞めた後に建設会社を起こし(今は御子息が)、故郷シェムガンに念願であった 学校 を設立し、さらに故郷を代表する国会議員に・・・・超多忙

ヤクちゃんが呼び掛け人となって、ツェリンさん設立の私立学校の学生に対する学資募金活動を行っています。ご関心がおありの方は 詳細 をご覧ください。

  

王様もすべての国会議員にこのポーズで写真とは大変です  カメラ目線?(笑)    憲法に署名した時の写真を持つツェリンさん

 

 

拙著『ブータンの染と織』は、ツエリン・ドルジさんとツェワン・ドルマ夫人の御夫妻なくしては誕生しませんでした

1992年、同書の事実関係の確認作業のために貴重な一日を割いて下さった事は、感謝の一語です

その時、ランチを用意して下さったのですが、そこで、はじめて焼畑で作られた米を戴き、そのちょっとモチモチ感があってこくのある美味しさは忘れられません

室内に、その時に私が撮影した御夫妻の写真があり、懐かしい! 

その写真は『ブータンの染と織』p12,『ブータン 雷流王国への扉』p137、に掲載

 

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3日(金)

6:30 ホテル周辺写真

    交通量の少ない早朝とはいえ、一応高速道路なんですが(笑) この後も何人か見かける!

 

8:35 建設中の最高裁

8:45 デチェンチョリン 標高2500m

8:50 ビューポイント 2580m 22℃

     眼下に私立の美術学校、ティンプー市内遠望

 

9:10 壁画

  

ブータンには珍しい磨崖仏 

よくパンフレットやポスターに使用されるが、地域の人々によって守られている

前回、ゲンポ師のご案内でタンゴ僧院を訪ねる時にこの地を訪れたが、その際は足場が組まれて壁画の塗り直しが行われていたので、やっと全貌を見る事が・・・・

 

 

9:23〜40 屋根付き橋  前回来た時には、勝手に「ブータンのマディソン郡の橋」と呼んでいた

     地名はドディナ 

   

 

   

   国立公園の看板                                 リンシからやって来た馬達とのことだが、あの高地に馬が生息? 

                           えさ袋はボール再利用  

                                 額の飾りはこの馬が先頭をいく馬である印

 

 チェリ・ゴンパを仰ぎ見る  木々の間に以前行ったタンゴ僧院が見える

 

 

 

10:20〜45 長年の念願であったデチェンフー(土地神様の名は ゲニェン) 2700m 16℃ 

       13世紀に始まる ドウルック派の高僧ラマ・ダンパが開祖

憚りがあるのでこれ以上近付くのは遠慮 

気のせいか、とても緊張感漂う不思議な空間 

ここの修復に苦労されたという「シャブドゥン・加藤」を思い出す

                           

西洋暦の12月4日がブータン本来の暦の10月29日で年の境目にあたる

ブータンは、この本来のブータン暦(土地毎に異なる)、チベット暦に由来するブータン暦、西洋暦、の三層構造で動いているということを知る

 

 

いいな、いいな!  私の理想の来世、正しいブータン犬の姿(笑)  GNH度はかなり高そう

 

10:50 雉撃ち

 

11:00 パリ・ザンパ(占星術の学校) 2500m 16℃  シャブドゥンがブータンにやって来て最初に住んだ場所という歴史上重要な所

    各地から集まった128人の僧侶が6年間占星術を学び、その後もとへ戻る

    6年前にデチェンフォダンの僧の学校から占星術部門を移し、その時にドミトリーその他を拡張し現在の姿になった

         

愛知万博ブータンパビリオン内の橋よりも短い橋があるが、どう見ても実用とは? 橋がないといけない理由が?      映っている僧の数とほぼ同数の犬が寝ている

 

 

           

    入り口の壁画と大きなマニ車制作中 マニ車の内部構造を初めて見る   お経が巻かれた本体を木材で囲み、それを包んで、さらに装飾を施す

 

 

パリ・ザンパ近くでデチェンさんのランチ

 いつ戴いても「デチェンさん姉妹は料理名人」と感動!  

夫君(元トンサ・ゾンダ)と経営しているトンサのゲストハウスでの食事もそうですし、ブムタンでゲストハウスを経営している妹のレキさんも、食に対する想いが強く

代用品の食材を使わず、今では多くの人が簡便に作っている料理もきちんと最初から自分の手をかけての、一切省略なし!

自家製のソーセージから、本物のブータン製チュル(特定の場所でとれる川藻・・・多くの人が中国製を使っている)、etc. etc.

 

余談ですが、この一家は日本と縁が深く、レキさんは1980年代末から何度か来日(最長は政府派遣で半年滞在)、写真に身体が登場しているもうひとりの妹さんティンレイさん

は国家公務員時代にJICA研修で来日、デチェンさんの上の息子さんは日本の大学院へ、レキさんの夫君(元ブムタン・ゾンダップ)も・・・・

こうやっているとなかなか先へ進めませんのでこのへんで(笑) 

(写真:ヤクちゃん)  デチェンさんに依頼しておいた油絞り板(酒船板と勝手に命名)と実を入れる籠を購入(計500$)

「森のバター」を作る時に使用する板で、前回の ナブジ・コルプ・トレッキング 時に見たが購入できず、新しい物を作成して古い物を譲ってもらう事になっていた。 

見ている板は比較的新しく(古いほうの半値)、白っぽい50年以上使用したほうを入手・・・固まったバターや木の実がくっついて固まっている・・・ 

重量は約8キロ 

 

参考          

                              第18回旅行時に見た油絞りの方法 と 森のバター(白黒は違いは木の実の最初の処理方法の違い、というがまだ裏づけがとれていない) 

 

帰国時には、ビニールに包んでからロングコートにぐるぐる巻にして再度ビニール袋に入れ、さらにブータンの米袋(肥料袋?)に入れ、縛って持ち帰るが、

成田税関で、「これ、気になるんですが・・・?」と質問される    

無理はありませんね、まるでダルマでしたから(笑)

「ブータンの油絞り用の分厚い板です」

「染め物の染料を採るのですね?」

税関氏の視線の先が・・・・・のろ亀のヤタのベストに

勘違いしている! 

でも訂正すると話がややこしくなりそうなので 素直に「ハイ」

「いい作品ができると良いですね」

「有難うございます」

 

1:00 ランチ終了

 

1:15〜45 サブジバザールで有料トイレ使用(5Nu)、     ラクパネ購入(エンドウのさやのように長いほう 10Nu×10個)

ラクパネ「森のせっけん」 2種類 丸いほうが安め

上が元のまま、下は使用するために割った状態

割って水をつけながら使うと、サポニン成分が溶け出して石鹸になる

昔は日本でもせっけんとして使用され、さらに中の黒くて丸い実を、羽根つきの羽の玉部分として使用していたという

 

 

2:25 チュゾム

 

2:37 道路よりドブジ・ゾンを見る 2650m 18℃ 

     牢屋だったのはいつまで?  このゾンと長いおつきあいがあるというゆきざねさんに聞けば判る、かな?

 

3:10 眼下に国道1号を見る 2650m 18℃

    上には廃虚同然チャプチャ・ゾンがある(以前、チャプチャ・ゾン周辺で軽くトレッキングして・・・・面白かった!)

         

 

4:22 パロとハの境になる小さな小さな橋と川(?)

         

 

5:00 リズム・リゾート(キプチュさんとカンドゥさん共同経営のゲストハウス?)着 2820m  9℃

            

     

       好きです、このタイプの部屋         バスルームがやけに広いな(笑) バスタブはないがギザ(電気温水器)が大形なので温水シャワーは心配なし!

 

 

6:30 ドツォ(焼き石風呂・・・・巨大なワッパ飯風呂、と表現した人がいるが、なかなか上手い表現

     

お客さん用なのでテント         豪快にカットされた蓬が大量に投入されている           マネージャー自ら石焼き  (中央の写真:ヤクちゃん)    

7:00 夕食

ダイニングルーム    コックさんの創作料理が美味しい 

考えたらコックさん、大変!    

ハは、普通、観光とランチという人が多く、宿泊してもせいぜい1泊、そこへ4拍もする酔狂な客到来でいつもより料理に変化が必要

なお、4連泊の「正気の沙汰とは思えない客(ドル爺さんの科白)」は、この宿始まって以来だそうで(笑)

 

8:30 部屋 

    明朝より4日間は、6時起床、7時朝食、8時出発と決める

 

続き 

  但書はつけませんでしたが、のろ亀メモから落ちていたブータン語表現、神様の名前、料理、等は

「ヤクちゃんレポート」(と、のろ亀が勝手に呼んでいる旅の記録)参照であることを記し、深謝します 

 

 

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