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2002年12月19日ー2003年1月3日
旅程 
2002年12月19日:成田 バンコク
20日:バンコク パロ ティンプー ペリン・ホテル泊
21日:ティンプー ウォンディフォダン通過 トンサ・ガスト・ハウス泊
22日:トンサ クンガ・ラプテン・パレス見学 シェムガン・ゲスト・ハウス泊
23日:ティンティビの橋 シェムガンの町散歩
24日:シェムガン クンガ・ラプテン通過 トンサ ペレ・ラ(峠) ガンテ・ゲスト・ハウス泊
25日:オグロヅル見学 ガンテ・ゴンパ見学 ノブディン村 ウォンディ・ドラゴンネスト泊
26日:ドチュ・ラ シムトカ通過 ティンプー・ペリン・ホテル泊
27日:G師のご案内でタンゴ
28日:チャプチャ高校近くからハイキング開始 午後3時ゲドゥ通過 プンツォリン・ドウルック・ホテル泊
29日:アム・チュの河原北上 オレンジ集積場 プンツォリンの町散歩 カルバンディ僧院見学 Rさん宅訪問
30日:チュカ発電所通過 ブナカで昼食 チュゾム ドブジ・ゾン遠望 ハ・ゲスト・ハウス泊
31日:可能なところまで北上散歩 ラカン・カルポ見学 ハ・ゾン見学
2003年 1月 1日:雪でドチュ・ラ通過断念 地元の子ども達と雪合戦 チュゾム パロ ゾンダカ僧院見学 パロ・マンダラ・リゾート泊
2日:パロ バンコク
3日:バンコク 成田
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ドル爺の旅日記
例によって、例のごとく、といいつつもこのたびの旅は少し違う経緯があった。それはまず追い追い話すことにして、暮れもまだ押し詰まってない12月19日に成田を発った。
(みんな一応まっとうな? 仕事をしているのにこんなに早く休めるの? という疑問はあります。そうです、みんな苦労してるんです。それだけで十分旅日記は一本かけます)
で、そうした話も追い追い。とにかく出発します。
というわけで、今回も走りながら「書く」ということに致します。
筆者は「ドル爺」(って誰? という人は面倒でも「ラヤ・トレッキング」というのを見てください) もうひとりの突っ込みは「のろ亀さん」です。
源泉かけ流しならぬ「ドル爺書き流し旅日記」ですね(笑) 写真とつっこみ担当の「のろ亀」です。宜しく
成田を夕方発って、バンコクで1泊し、早朝の飛行機でカルカッタ経由、昼にはブータンに着いている。早いよなぁと思う。(註1)
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12月20日(金)
ブータン着。 11:00 パロ空港着
このところパロ空港についても、すぐティンプーへ行って、会うべき人に会って渡すべきものを渡して(註2)、買い物(自分のため、人のため、頼まれたものなど)して・・・と大変忙しい思いをする。
しかもせっかく行った(来た)のに黙って帰るのはなにごとかと怒られるので、在住の日本人、ブータン人にできるだけ会わないようにしながら、以上のことをするのである。
が、なんせ狭いティプーの街、すぐ誰かに見つかってしまう。
見つかったら最後、ブータン・口コミ・ローカル放送で「あいつとティンプーで会った」と吹聴されれば、もう町中に広まってしまうのです。(少しおおげさか)
3年ぶりのティンプーは建築ラッシュが始まっていた。表通りだけでなく、裏通りもごちゃごちゃと建物が増えていた。駐車場ができて、駐車券もぎりの少年がいた。
まず本屋へ行く。前回あたりから本屋らしい本屋ができて、数も増えて、もうこれはたまらないのである。2軒回って、9冊、192ドルも買ってしまった。ああ。
夕方とにかく会いたい人にだけは(というと申し訳ないが)会って夕食。
G師を囲んで夕食
乾燥した街、ノドが痛い。
(註1)筆者が始めてブータンへ行った1984年は当時は、日本を出て、カルカッタで飛行機待ちをして、陸路でブータン入ったのは4日目で、ティンプーへ着いたのは5日目であった。
(註2)筆者がブータンで暮らした1990年頃と比べたら格段に通信・流通事情は良くなったとはいえ、陸の孤島ブータンに一番確実に早くモノを届けるのは人間の手です。なんやかんやいってもいつのブータン行もたくさんの頼まれ物などの「運び屋」というのが仮の姿であります。
ブータン通い20数年、お運びする品目がだんだん変化しました。今や味噌醤油のリクエストはなく重要書類やクレジットカードだったり、と隔世の感あり!
スイスベーカリー傍のペリン・ホテル泊
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12月21日(土)
AM7:00 ティンプー時計塔前で高度計を2450m にセット
まず東の方へ出発です。また戻ってくるのであるが。ところどころで連泊はするが、基本的(非常識的にはといった方がいい)は移動、移動であります。それも東に西に北へ南へ。
まずサブジ・バザールで買出し。みかんなどを買う。
ドチェラ(峠)には昨日の雪が残る。車の量が多くひっきりなしにすれ違う。
12:00(1420m)ウォンディポダンの橋が新しくなっていた。疑宝珠のような欄干には違和感あり。
冬枯れの道をひたすら東へ。きょうはトンサまで行くだけなのでまずはのんびり。何しろ、いくらなんたって暮れの19日に日本を出るのは忙しい。
一応は年末の用事があるわけでそれをすっ飛ばしてくるのだから。(註3)
そんなわけで、きょうはホッとしたからか、疲れがどっと出てきた。かぜ気味。ノドが痛い。
というわけで久々に霧の中から現れたトンサ・ゾンには感激したものの、体調不良。
偶然にも東方面に出張ということで、同宿した日本人のH氏ご一家との、薪ストーブを囲んでの、久々のお話は早めに寝かせてもらうことにした。
(註3)同行のゴムチェンさんはれっきとした公務員です。えー?公務員が暮れの19日から休めるのーと・・・そうなんです。そこにはやはりとてもここには書けないこわーい、厳しい現実ってものがあるのです。
のろ亀だけは「零細極小事業主」ですから懐は寒くても時間調整が可能ですが、他のおふたりはれっきとした「給料取り」ですから、ふしぎですよね(笑)
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12月22日(日)
冬のトンサの朝、寒さもまずまずで、起きられた。まだ本調子でないが、動いた方が元気になる、でかければ何とかなるという程度で朝食も食べる。
トンサから南へ下る道を行く。目指すはシェムガン。観光客はまず行かないところ、協力隊もこのあたりへの派遣はわずか1名あった?。
クンガラクテン・パレスまでは前回来たところ、ここから先が初体験。
最初の道沿いの村は、深い谷と対岸の山は森、手前側の日当たりの良い斜面は段々畑と田んぼ。北側の山からは豊富な水が湧き出している。が、道路沿いの家には電気が来ていない。
尾根の中筋道?をずっと車は走って、そこから一気に谷に向かってまわり道をしながら下り、そしてまた登る。これの繰り返し、数回。
ゴールデン・ラングール(猿)がいるというあたりで昼食、きょうはランチボックスの辛い、おいしいブータン食。
少し歩きたいとガイドとドライバーを困らせて?(註4)、しばし道路沿いを歩く。サルはいない。橋(名前は?)からが、シェムガン・ゾンカック(県)だそうだ。
再び車で登ったり、下ったりを繰り返して、尾根の上がシェムガンであった。なんだ、さっき尾根を見上げたところが真下に見える。あんなに走ったのに、これしか移動していない。
ゲストハウスに落ち着く。明るいうちにとすぐに散歩。寂しい町かと思ったが、商店もあり、ゾン(役所と寺)もある。
ゾンは西のはずれに小じんまりとしているが、なかなか良い雰囲気。寺を拝観させてもらう。夕陽が美しい。(註5)尾根筋の村は、峠の我が家、高原の村とリゾート風ともいえなくもない。人はまばら。
寒くなってくる。いっぱい着込む。インド製と思われるふとんはべらぼーに重く、固い。
(註4)ブータン人ドライバーいわく:「この『お客さんたち』はとにかく『なんでこんなところがおもしろいのか』というようなところに車を止めさせて、しかも歩きたいという。『アホか』というような方々です」
「ブータン中の車で行ける所は全部行った」という名ドライバー氏の言によれば、「とにかく変な客だった」(⌒_⌒)
(註5)ブータンで夕陽を眺めるのは実は珍しいこと。どこも山が迫っている(迫りすぎているので、日の出のときはすでに太陽ははるかに昇っていて、日没は明るいうちに山に沈む。ゆえに夕焼けというのはほとんど見ることができない。
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12月23日(月)
きょうは一日シェムガン観光。といったらブータンを知る人には信じられないといわれる。何を見るの? どこへ行くの?
そういう人のやらないことにチャレンジ(というほどの意気込みはなく、なんかありそうという好奇心が先です)
チャレンジ???? かっこつけすぎ(笑) 単に好奇心を抑えられないだけ!(⌒_⌒)
朝は霧の海。雲海というべきか。南に来たようなつもりだったので、こんなに寒いとは。
8:30出発。南に下るというか、また谷を降りていく。どんどん高度を下げていく。
だいぶ行ってから、ついにゴールデン・ラングールに遭遇。五匹ほどの群れが道路沿いの崖の上で遊んでいた。
長いしっぽ、ふさふさとした毛並み。見ていて飽きることがない。
さらに下って、下って、大きな橋がある。古い橋と新しい橋が工事中。ティンティビの橋。海抜800m。
ここにも日本の援助、大日本土木がこの橋を作っている。古い橋はクワイ河にかかる「戦場にかける橋」を思わせる。
ここから先ブータン南部は、現在日本人は立入禁止区域。橋を渡ったところの集落で戻ってくる。
シェムガンでは「可能な限り南下したい」という我々の希望に、当時はまだゲリラ掃討作戦前で完全に安全とは言いにくい状態であったので、
「当日になって状況によっては文句を言わずに引き返す。ガイドの指示に従うことを約束するならティンティビの橋まで許可」ということで実現した。
帰り道、別のサルの群れに出会う。しばし楽しむ。こうなってくると、見ているのか、見られているのかわからなくなってくる。
1時シェムガンに戻る。あと半日どーするの?
大丈夫です。楽しみは自分たちで見つけます。
狭いシェムガンの町(というのか単なる集落か)を散策。なんか旧道のような道があって、石畳が敷かれている。歩いていくとゴンパに着いた。お寺の参道であった。
で、そこに・・・「本屋」があったのです???
いえ、「本」という看板があったのです。一瞬目が点になってから、考え直して、えっ、ここはブータン、しかもシェムガンというところ。
それは写真を見てもらう方が早いでしょう。ある家の窓に木が打ち付けてあって、それが縦横ななめに、見事に「本」というカタチになっているのです。
もちろんブータンは漢字圏ではありません。まったくの偶然のなせるわざですが、あーびっくりした。
何だかこういう観光地でもない知らない街をぶらぶら歩くのが好きです。
夜、寒いけどお湯が出た。もっとも水漏れもひどい。
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12月24日(火)
シェムガンで2泊などとは狂気のさたといわれそうだが、ともかくそれなりに楽しめた。
シェムガンの魅力というのは、地形的な「ありよう」のおもしろさであって、あとは別におすすめする何かがあるわけではないけど、不思議なところでした。
ひとつだけ書いておきたい。2日ほどこのあたりをうろうろして、気づいたことがある。
それはこのシェムガンと谷を隔てた反対側は山なのだけれど、よーく見ると1軒の家がある。しかもそのあたりが丸く耕されて(あるいは草が刈られて)いる。そしてそこに1本の木がある。「日時計みたい」と思わず誰かがいって「日時計の家」と勝手に名づけた。
それにしてもあんなところに何故1軒だけ家があるの? ほんとに人が住んでるの? 不便じゃないの? といらぬ心配をして、実はガイド氏に聞いたのです。そしたら、やはりいわくつきの家でした。
ガイド氏のいうには、あそこにはある夫婦が住んでいるが、彼らは「いとこ同士」でブータンでは「いとこ同士」の結婚を禁じられいて、村から追放されたのだということであった。
このあたりどこにいってもこの「日時計の家」が見え、なーるほどとうなずくドル爺でありました。
恋に生きた「日時計の家」の住人、オッ、その情熱はブータン人らしい!
もうひとつのブータン人らしさである「すぐに諦める」を発揮しないでね(⌒_⌒)
そんなわけでシャムガンを後にし、トンサへ寄って昼食をとり、次の目的地フォブジカへ向かった。
昼12時トンサへ戻る。ゲストハウスで昼食。
先を急ぐところではあったが、せっかくではあるし、トンサ・ゾンを見学。
ここは増殖また増殖で奥へ奥へと迷路のような、城であり(現在は役所)、寺である。外見の美しさとまた違った「テーマパーク並みのおもしろさ?」があるといったら怒られるかな。かっこよくほめれば、「こうして中世から群雄割拠の歴史を紡いできた・・・」なんていうキャッチフレーズはどうだろうか。
今は? 今も? 延々と終りがない工事中。一方でオフィスとして機能していることはいうまでもない。
ほんとに先を急ぐ。山の天気が心配だからである。これから峠を越えて、山岳道路(ブータンは国中山岳道路だ?!)に入っていく。
ペレラ(峠)に近づくにつれて、寒くなり、雪が舞う。が、たいしたことはなさそうだ。
フォブジカへ入る道も新しくなっている。以前苦労したこちらの峠道もすぐそこであった。
前回は1991年(11年前)の11月に来た。ローカルゲストハウスに泊まったが、とにかく寒かった記憶がある。
そのあとは、この年末年始と同時期1995年の暮れ、フォブジカに寄るつもりでティンプーを出てきたが、入口の峠で雪に降り込められ、やはりあとのことを考えて、キャンセルしたことがある。確かにこの時期のブータンは観光には適さない。
きょうは難なく峠を越えて、フォブジカの村に着いた。家々がきれいになり、豊かになった感じがする。ガンテゴンパ(註6)の門前の村が集落になっていた。
ホテルはまさにガンテゴンパの門前、ほとんど境内といっていい雰囲気である。ソーラーによる電灯もあり、薄明かりではあるが、ボカリストーブもあり寒さをしのげる。(と、このときは思った)
夕食はホテルのブータン料理。メニューは固定してきたが、こちらも野菜中心に軽めに食べる。ハルサメがおいしい。食堂は大きなストーブが勢いよく燃えていて、快適。しばし、ブータン話して早めに各自の部屋へ。
各部屋にはボカリ(ブカリ)という薪ストーブがあり、薪も用意されていたのだが・・・。
以後、○時間煙と格闘し、結局は寒さに震え・・・、
原因1、薪が湿っている。 2、薪が大きすぎてストーブに入りきらない。3、燃やし方が下手・・・?
結局、部屋中を煙で充満にしてしまい、また窓を開けて、せっかく暖まった空気を出すということを繰り返しているうちに、ストーブの火を維持することをあきらめ、「クリスマスイブに煙突に入れないサンタクロースみたいだね?」と自分を慰めつつ、ベッドにもぐりこむ。
とんだクリスマス・イブでございました。寒くて眠れない、2度起きて・・・ということは2回眠ったのであろう? 寒い、寒い、寒い。
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12月25日(水)
夜明けは遅い。寝不足のまま、白い朝。雪が降っている。チラチラと音もなく。
今朝はストーブがすぐ点いた。(薪が乾いてきたからだ!)
終日フォブジカの予定。朝食後、完全防寒対策をしてさっそく谷に下りることにする。このあたりは湿地で、一面白くなった谷にチラチラと雪が降る。本降りではないが、寒い。
湿地には遊歩道がついていて、その先に観察小屋がある。
目指すオグロヅル(Black Neck Crain)は群れていた。一番近いところに49羽の群れ(数えたのだ)、そのほかに20羽くらいの群れがあちこちに、そして点々と数羽の群れもいる。
しかしカメラを持って近づくと気配を察し、遠ざかる。動物写真はやはりプロ世界だ。素人はそうそうあきらめて、降る雪の中、双眼鏡で眺める。→「詩人」になる。
フォブジカのなんともいえないこの地形と鶴という組合せは自然そのものという気がする。ゆえに観光とは所詮相容れぬもの。無関係なのだ。村人も自然にふるまっていればよかった。それで共生していたのだ。→「エコロジスト」になる。
一直線になってツルが飛び立つ。そして二つの群れに分かれてガンテゴンバの森に消えていく。雪はあられ状態になって降りしきる。湿地にいるのはわれわれだけ。
車で少し奥の方まで行ってみる。ホテル?ができている。途中別の群れをやや近く見る。
昼、すっかり凍えてホテルに戻る。
ここで急きょスケジュールの相談をする。雪はどんどん激しくなってくるようだということ。ゴムチェンさんの調子もあまりよくない。もう半日いる必要はないか?
ここに雪で閉じ込められたらあとの予定が「パー」になる。
ということで、予定を変更して、きょうのうちにウォンディポダンまで戻ることにする。急きょパッキング。薪ストーブは楽しいが、煙に悩まされ、寒いということもあり、仕方ない。
急いで、ガンテゴンバを見学する。寺は大改装工事中(註7)で、お坊さんの姿はほとんどない。門の上の別の所属であるというお堂を拝観する。素晴らしい十一面観音があった。門前を散策。ここも何故か新築ブーム。
2:10フォブジカ発。雪が、あられが、木々につきクリスマスツリー状態で美しい。そう、きょうは12月25日クリスマスだ。雪がとぶ。横から降ってくる。車はそろそろと、スリップしないように走って、走って、逃げる。脱出する。
ウォンディ・ポダンまで脱出。宿はドラゴン・ネスト。二度目である。
お湯がたっぷり出てもう大都会の気分。しかし移動、移動で疲れが出た。三人とも食欲なし。ドル爺はビールを飲んで日記も書かずに寝ました。
(註6)ガンテゴンパはブータンでは少数派になるニンマ派の最大の寺である。
(註7)ブータンの寺などの建物は文化財であれ、どんなに古くても改築という考えはなく。古い建材は使わず、全部壊して立て直す方式をとる。そのため「法隆寺」のような古い木造建築は存在しない。
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12月26日(木)
ティンプーへ戻る。
ドチェラ(峠)は雪が残っていた。一昨日通過したペレラ(峠)は大雪だったらしい。やはり昨日脱出したのは正解だった。あそこに閉じ込められたら、大変だった。
昼にティンプー着。
午後は伝統医療の病院を見学の予定だったが、ドル爺は不調のためキャンセル。お二人だけで行ってもらう。
頭痛あり。どうやらずっと右側の席に座っていたので、右の首筋が痛い。クスリを飲んで昼寝。夢を見た。ブータンに来ると人間界でないような?夢を見る。ほんとです。
夕方元気が出てきたので、お散歩。また本屋へ行く。ブータンの本は大分揃ってきたが、教科書を売っている店を見つけてしまった。ブータンの教科書はあまり高くないし・・・としこたま買う。買ってしまう。十数冊。ああ。(註8)
別の本屋には英英辞典が並び、ハリーポッターもあり、書店事情も随分変わっていた。
旅行会社をやっているK社長を訪ねたが、不在。おみやげの日本製カレンダーを置いてくる。スーパーマーケットがある。何でもある。しかも選べる。(註9)
実は今回の目的のひとつ。サウナに入ること。
ティンプーのサウナはドゥルック・ホテルのサウナには前回入った。今回はサクテンビルのサウナへ。小さなトレーニング室があったが、ほとんど器具は壊れていた。
サウナには小坊主が入っていて、「汚すんじゃねーぞ」ってオジサンは小坊主をたしなめるが、「小坊主に説教は通じない」 そりゃぁ水遊び、ましてお湯遊びは楽しいよね。冬のティンプーは特に乾燥しているから、小坊主でなくとも、お湯が出るのは嬉しい。
夕食はティンプー在住のJICA専門家Y氏とシニアボランティアのH氏と。現在在留邦人は90名だとか。(註10)
部屋のテレビも衛星放送が映る。熱いお湯が出る。犬の鳴き声がうるさい。これは変わっていない。
書くことないと思っていたティンプーだが、以上のような日記を少し書いて夜が更ける。
(註8)以前は教科書はほとんどインド製であったが、徐々にブータン製のものになり、内容も充実してきた。
(註9)筆者がティンプーに住んでいた1990−1992年頃はほんとにモノがなかった。インド製のものが、あることはあったが、選ぶほどモノがなかった。歯ブラシは1種類、消しゴムも1種類。今回の違いはタイ製品があふれ、スーパーマーケット方式のお店ができて、色やかたちを手にとって選ぶことができるようなっていた。
(註10)筆者がティンプーに住んでいた1990−1992年頃の在留邦人は20名ほどであった。
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12月27日(金)
終日ティンプー。
朝はゆっくりする。ティンプーの朝は暗い。人の動きも遅い。冬時間モードだそうだ。
8時食事、出発は遅れて9:20
今日の予定はタンゴ・ゴンパへ寺参り。途中きょうの案内をお願いしたG師を拾う。氏は日本にも来たことがあるブータン期待のお坊さんでして・・・。
タンゴ・ゴンパはティンプーの奥の奥どんづまりの山の上にある。
まず川向こうより、ティンプーの街を見ると、家が増え、きれいになり、大きな建物が立ち並んでいる。周辺、郊外にも続々と家が建っている。
どんづまりに屋根付き橋がある。向かって左がチェリで右がタンゴ。少し車で入って、そこから登り始める。2,700m。最初の登りはいつもきつい。シンドイ。身体が慣れていないので、息が切れる。会話もできない。
やっと登って、海抜3,000m。本殿はりっぱな建物である。歩く道しかないこの山の上にこんな大きくて、りっぱな建物とは驚かされる。貴賓室へ招かれ、茶菓の接待を受ける。すごいすごい。薄暗い本堂(実は停電だった。えっ、電気が来ているの?)、1階には釈迦、2階には観音、3階は阿弥陀がおわす。五体投地をする。
ここは僧院でもあり、140名の僧が修行を続けている。きのうのサウナにいた小坊主たちもここの住人か?
あぶなっかしい崖沿いの道を降りる。下りは速い。小雪が舞う。
麓で昼食。ランチボックスにはプリとジャガイモのカレー煮。おいしい。
3時ホテルに戻る。4時までまた散歩。ほこりまみれになって帰る。バスタブにお湯を張り、浴びる。
夕方K社長が訪ねてくる。スイスベーカリーでお茶する。2人の子持ちになったという。
実はこのK社長とは長いつきあいである。1984年12月、初めてのブータン旅行のときのガイドが彼だったのである。ブータン人にしては珍しく仕事が変わっていない。(註11)
夕食は日本人MさんとKさんと4人でとる。「ベニス」という懐かしいレストランにて、ひたすらブータン話。このメンバーでブータンの話をしていると話は尽きない、ティンプーでならなおさら。
深夜のティンプー交差点、人影もなし。
ティンプーへはもう戻らない予定。パッキングが大変。スーツケースは満タンである。しかも本がかさばり、重い。ああ。
(註11)ブータン人は国民の9割が農民といわれ、公務員以外の一般の仕事は限られている。そういうこともあって、その一般の仕事についているブータン人はまだ仕事が固定しているとは言い難い。「あれ、もう仕事変えたの?」「うん、あれは儲からないからやめた」
という具合に会うたびに違う仕事をしている。このK氏ように以前は国営の観光局が民営化したあと独立し、しかも「ちゃんと続けている」のは、なかなか少ない。
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12月28日(土)
今度は南へ向かって進路をとれ!
一見、まったく気まぐれみたいですが、実はこれは今回の練りに練った計画なのです。であるから、この日は書くことがいっぱいあるのです。
ティンプー発8:30
シムトカより手前から新しい道を通る。6キロのショートカットだという。今度来るときまでにはまた新しい道ができるらしい。
10:20チャプチャ着。
車道路から少し登って、Chaphucha secondary School を越えたところで旧道に出会う。これが今回の目的、かつて中尾佐助氏がインド・ブータン国境のボクサロードから7日かけティンプーまで、馬の背と一部歩きでヒルに襲われながら、通った道である。今回はこれをほんの一部であるが、歩いて見ようという計画なのである。
この古道散策については、マダム・ゴレ・ルベご夫妻とシデ社スタッフの多大な努力によって実現しました。 とってもとってもカデンチェ・ラであります。
まず観光客が通ることを想定していない「古道」を歩いていいのか、歩ける道が残っているのか(トレッキングコースとして使われているところは勿論あるが)、等々の諸問題を、内務省をはじめとする数カ所の役所で調べ、了解を得る努力を・・・・
と、ここまでであれば、友達付き合いのある良心的な会社業務範囲であるが、ご一同のすごさ(?)は、この先の実験にありました。
「ドル爺さん」と「ゴムチェンさん」は山男ですが、極め付きの運動音痴で富士山どころか高尾山にも登ったことがないという「のろ亀」がどこまで歩けるか、を心配し、マダム自らスタッフを連れて、内務省からOKを戴いたコースを歩いてみて、「このコースは無理だけど、こちらなら何とか・・・」と今回のコースを決めて下さいました。
ここからチャプチャ・ゾンをめざして歩き始める。まず道は崖をいっきに下る。事前に聞いていたからこんなものかと思ったけれど、いきなりだったらこれが道かと思うだろうというようなところだった。下りると、民家の脇に出て、生活道路が学校のほうへ続く。
チャプチャ・ゾンは小ぶりだが、近くで見ると結構りっぱ、でも外壁は崩れている。現在は使われていない。立地もはるかに見晴らしがよく物見台としての役目を果たしていただろう。まわりの民家の屋上にはじゃがいもの袋がいっぱい。ここらはじゃがいもの産地だそうだ。「じゃがいも長者」がおるそうな。
のどかな畑道を通って、そして最後の自動車道路までは、これは道か、水の流れた跡かというような崖をいっきに下って、ポイント167.6(註12)に出る。休憩も入れて2時間弱、高低は三百メートルほど降りたことになる。
ここから下の旧道は谷の下に降りるのだろうか。行ってみたいが、それだけでまだまだ十分目的のある要調査の旅になりそうだ。急ぐ旅では不可能な相談だ。
車に乗る。
ブナカ(註13)で昼食。
このところ同じメニューだが、ここもじゃがいもがうまい。揚げたモモがうまい。
13:00プンツォリンへ向けて出発。
途中のチュカは前に来たときより大きな町になっていた。タラの新発電所の関係者が大勢住んでいるらしい。
そしていよいよ問題の崖崩れ多発地帯に入る。
ゲドゥはタラの新発電所の関係で、すっかり町になっている。以前は茶店があっただけだった。建物が増え、人も多い。
その先で下から上がってくる大量のダンプカー数十台を待つ。みな発電所の関係らしい。
そして霧の多発地帯。霧が深まり。あちこちの崖崩れ現場を横目で見ているうちに・・・。
16:00突然車の流れが止まる。いやな予感。
16:40まだ動かない。まったく静か。プンツォリンから24.3キロの地点であることを確認。
さらに1時間半、足止めを食う。無為に過ごす。何もしない。できない。
やっと動きだすが、あと24キロは長かった。プンツォリンの灯が見えてからも遠かった。
19:00プンツォリン、ドゥルック・ホテル着。
ちょうど風呂に入っているとき、表をドンドンと叩かれた。誰かが訪ねてきたらしい。あわてて出たが、間に合わず。(あとで翌日訪ねる予定のRさんだとわかった)(註14)
(註12)ブータンのこの国道一号線には路肩にティンプーからあるいはプンツォリンからの距離が示してある。ちなみにこれはティンプーからの距離。
(註13)「ブナカ」:有名な「プナカ」ではありません。“ブ”と濁ります。集落もないところですが、ティンプー・プンツォリンのほぼ中間点にあたり、旅行者用のレストランがあります。
(註14)筆者がティンプーに住んでいた1990−1992年頃はまだ電話は事務所くらいしかなく、隊員同士連絡はすべて直接家を訪ね、コンコンとノックしたものである。(夜這いみたいだね)で、いなければメモを残すというのどかなやり方だった)
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12月29日(日)
プンツォリン終日。
ここからそう遠くないところに、自称「ドヤ」という少数グループのブータン人が住んでいると聞いていた。彼らの着ている民族衣装について調べたいということで、そこを訪ねることにする。
河原沿いの道というか、そのまま河原の中(端?)を車で行けるところまで上っていく。
川の向こう側の一軒のお宅訪問。草原の向こう、畑の先の高床式の家に夫婦が住んでいた。彼らの白い衣装の実演をしてもらい、一着譲ってもらう。
男性衣装着装順 1 から 3 4 5
帰路途中のみかん・オレンジの集積場があり、ここをのぞく。
夕方、昨晩ドアを叩かれたRさんの家にお呼ばれのため出かける。まずカルバンディ僧院へ行く。ここでバッタリG氏に会う。G氏は日本留学経験あり。しかも拙宅に近い東京農工大に来ていたのだ。偶然にしてはできすぎか。待っていたのかもしれない。どこかで情報が漏れた? ここはブータンだもの?
いまはこの近くの専門学校で教えているというが、奥さんとは別れ、子どもを引き取っているという。ちょっと元気がない。一緒にRさんのところへ行く。
Rさん一家は、もとはブムタンに住んでいた。ご主人は副県知事、Rさんは腕利きの元?織姫で、日本にも来たことがある。ホテルも持っていて、いうことない生活かと思っていたのだが。「やはりブムタンは寒くてね」という。
そうだったのか。Rさんくらいの生活をしていれば そういうことは感じないかと思っていたが。このプンツォリンは避寒のために住んでいるのだそうである。
若い織り娘を数人抱えて、キラを織らせていた。とにかく、きょうはお茶に呼ばれたのだ。「見るだけね」と自分にいい聞かせて。(註15)クレ(そば粉のケーキ)などをいただく。まだ先があるから何も買いませんと誘惑を振り切って帰る。
お腹いっぱいだし、ホテルの夕食はパスする。
残りの日のためにパッキングする。
(註15)着道楽の国ブータンの特に女性の民族衣装キラはその織りの見事さは格別のものがある。特にいいものは目の玉が飛び出る値段の高さに、協力隊の隊員の安い手当てなど、すずめの涙、それでも誘惑に負けて「キラ地獄」に陥った人は数知れない。
「数知れない」ひとりです、ドル爺も。 のろ亀は自他共に認める「地獄の住人」です(笑)
ドル爺は1995年にはタシガン・ゲストハウス の織名人のおばちゃんに「息子の学費に・・・・」と言われて見事な白地の「キシュタラ」 と呼ばれるキラの逸品を譲り受ける。このキラは「飽きたらのろ亀に譲って欲しい」と唾がつけてあります、すでに。(⌒_⌒)
ドル爺は、さらに4代国王陛下のお召し物、というゴーを拝領者から譲り受けている立派な「地獄住人」です。
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12月30日(月)
ここからは帰路という感じだ。が、プンツォリンからまた北へ。行くのか、戻るというのか。普通はここへ下ってきたら陸路でインドへ出るよな。フツーの人は。
「中尾佐助ルート」はどこからだったろうかと想像しながら、(もちろん)今は車で登ってくるのだが。ずっと谷を来たのだろうか。タラからチュカへ、ゾンの跡も遠望だがきょうは確認した。
ブナカで昼食。モモがおいしい。
「中尾ルート」はどこからチャプチャに上がったのだろうか。
1:50チュゾム着。ティンプーとパロと道が分かれ、われわれはここからハへの道に入る。
チュゾムから大分車を走らせても、実はまだパロの行政区だという。
ハには2度行ったことがあるが、行きは2度ともチェレラ(峠)越えで入り、1度だけ帰りにこの道を通った。
きょうはプンツォリンからの長旅なので、余計に遠く感じる。(註16)
のろ亀にとっては「初ハ」
長年行きたいと願いつつ・・・・やっと解禁・・・・それ行け!!!
ハに近づいてやっと集落が現れる。大きい家、りっぱな家、新築ブームか?
いくつかの集落を抜けて(前はこんなに家があったかなと思う)
インド軍とハ・ゾンのあたりに家が増え、明るく開けて感じがする。10年ぶりのハは何もないハではなかった。
一日車に揺られ、さすがに疲れた。ハまでこんなに遠かったか。海抜200メートルから登ってきて、3000m近いハは寒い。
16;05ゲスト・ハウス着。
相客あり。あとでわかったのだが、ゾンダ(県知事)がここに単身赴任していたのだ。
夕食は、ゾンのオフィサーの送別会に合流する。どちらが合流したのか、入れてもらったのかはわからないが、成り行きというか、単なる場所がかち合ったということのようだ。
何でも一人がブムタンへ転勤なのだという。二十数名が、それは、それはにぎやかに歌って踊る送別会であった。とくかくよく踊る。19曲ですよ。(数えていたのだ)
誘われたけど、旅の疲れと若干の高山病(ではないかと思う)思考能力がなくなっているので、もっぱら見物していたのだ。それが実におもしろかった。
どこの世界にいる、いる。宴会部長に、気配り庶務課長、言葉はわからないけど、そのやりとりを見ているだけで実におもしろかった。楽しんでしまった。
そうそう、昨今には珍しくゾンカの会話が続き話の内容はさっぱり。 しかし進行状況は判って面白かった。 特に気配り庶務課長の活躍ぶりが(笑)
(註16)実はハの人たちは山越えでプンツォリンまで行くそうである。2日歩けば行けるそうだ。もちろん彼らの足で、であるが。目的は買いものと避寒だそうである。
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12月31日(火)
大晦日である。一日「ハ」で過ごすことにする。
抜けるような青空、ゲストハウスから奥へ行く。
ハのハイスクール、商店街、ゾンダのオフィスをぬけていく。こんなに広いところがあったっけ。前にはなかった商店街もある。前に来たときは一軒だけお店があり、そこで中国製品をいっぱい売っていた
谷の地形が厳しくなったり、なだらかになったりする。氷河が削ってできたカールという地形がハの特徴である。
現在こそ、辺境のごとく、やっと観光客にも開放したハであるが、かつてはブータンのなかでも重要な役目を果たしていた。国家の中心を担う優秀な子供たちを輩出していた。なぜ、ハが力をもったか、あのドルジ家は何故に繁栄したかという疑問を抱きながらハを歩く。
まあ、理由は簡単である。シッキムとの交易を一手に手がけていたからである。では何を?という次の疑問が湧くが、生臭くなる?前にこの話は別の機会に譲ろう。
ところどころで写真をとったり、村の人と話をしたり、子どもと遊んだり、ここがどういう所かということを抜きにすれば、のどかな、のどかな山村なのである。
古来、多くの人が自由にここを通っていった。ここからあと2日も歩けば、かつてのシッキムのヤートン(亜東)に着くのである。車の通れる道はどこまでなのか。軍事上の秘密であるが、知りたい。
行けるところまで、行く。行っちゃだめというところまで行く。ガイドさんはハラハラしていなかったかな。
昼はゲストハウスへ戻る。キッチンでハの名物料理「ヒュンテ」をつくってくれた。野菜を香辛料で味付けし、そば粉の皮で餃子のようにしたものである。うまい。いっぱい食べてしまった。年越しそばの代わり。
帰り支度して、きょうは早寝しよう。
外は何か、雪が降り始めた・・・?
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2003年1月1日(水)
元旦、ハッピーニューイヤー。
カウントダウンももちろんない。静かな、静かな朝、雪が降っている。積もっている。どんどん積もっている。最初は、「チェレラ(峠)は越せないね」程度に気楽に考えていたのだが・・・。
見る間に積もっていく雪に次第に、もしや、「ちょっとヤバクない?」
今日中にパロに戻らないと、「日本」に帰れないかもしれない。
で、急きょ、出発する。ゾンの雪景色も素敵だし、めったにない(二度とない)シャッターチャンスだけど、車の中から、「急いで、急いで」とすぐ発車。
前を軍のトラックが数台、走っていく。やわらかい雪を泥まみれにして、跳ね飛ばし、雪の中に突っ込んでいく。何だか走るというより、道を壊していく。
しかし、このインド軍のトラックの何とも運転の下手なこと・・・・免許を待たないのろ亀が言うのもなんですが。
ついにわれわれの車も雪の中にはまる。男4人で車を押すが、なかなか抜け出せない。ちょっとてこずったが、何とか脱出成功。
さらに少し走り、集落の近くに来ると、雪は止んで、青空が出てくる。
ひと休みしていると、突然、雪の玉が飛んでくる。大雪よりも一大事。急きょ、知らない人たちと雪合戦? 見えない敵は子どもかと思ったら、りっぱな大人もいる。(註17)
プンツォリンからの道が見えた。雪はない。2000メートルから下は雪がないようだ。
パロは平地はもう雪が消えているが、山の方は真っ白になっている。残念のような、明日のフライトを考えれば、感謝。きょうの便も遅れて到着。
オフィスは初雪のため、クローズド。(註18)銀行もエンポリウムも。
午後、まだ時間がある。ゴンパ・お寺参りへ。ボンデ・ファーム奥のゾンダカ僧院へ行く。こんな近くにちょっと穴場の寺参り。しかも大きな岩の上に、崖の上の寺。そして、薄暗いお堂の中には不思議な世界。
車はマンダラ・リゾート(ホテル)への道を登れず。仕方なく、オラタンホテルの庭から歩いて入る。
あの大雪が嘘のようにパロは晴れ上がっている。
マンダラ・リゾートはダイニングルームからのパロを一望に見る景観は圧巻である。
部屋は部屋によって格差があるのでは? 団体には不向き。少人数向けのホテルとみた。
ブータン・ソバ(プッダ)が出る。パロでは(ブータンでは)缶ビールを2缶も飲むと酔っ払う。富士山の5合目で飲んでいる感じ?
(註17)寒いと思われているブータンも、一般的なところは、それほど雪は積もることはない。積もっても陽射しが強いので、すぐ溶けてしまう。そのためか? ブータンは雪合戦が好きだ。知らない人も巻き込んで、大人も子ども遊びとは思えないほど、真剣に?長時間(一日中)雪合戦をする。
(註18)ブータンのオフィスは毎年初雪の日にはお休みなります。えっーと驚くかもしれませんが、ほんとうです。どこを基準にするんですか? 何センチ降ったら初雪なんですか?などと野暮なことをいわないこと。とくかくみんな仕事を休んで、雪合戦です。これもほんとです。
<書き忘れたこと2つ>
○フォブジカで聞いた話。
フォブジカのツルは村人が近づいても逃げないが、観光客が近づくと逃げるそうです。
○「チャプチャ」という地名。「雨が降るところ」という意味だという。「ウソッー」ほんとです。日本語とゾンカ(語)は似ている???
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1月2日(木)
残念ながら、暗いうちに出なくてはならない。ここで、ゆっくり、コーヒーを飲みながら朝日のあたるパロゾンを見たいのだが。
6:30空港へ。さすがに早すぎた。
が、出発は遅れ、空港で4時間。やっと10:30離陸。ジョモラリ他 視界良好。
まだ話は終わらない。
ドルック・エアはなんとミャンマーのヤンゴンに着いたのである。
空港も、しかも機上で、外へも出れない。トランジットともいえないが、20年ぶりのラングーンであった。(ドル爺は1981年5月、いまよりずーっと若かった頃、知人がいるラングーンを訪ねたのであった)
バンコク着。暑い。ホテルへはエアポート・バス。街中の大渋滞に巻き込まれ、7:00ホテル着。疲れた。シャワーを思いっきり浴びて、15日間のあごヒゲを落とす。
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1月3日(金)
無事帰国。夢からさめる。
またまた、辛抱強く読んでくださった「アナタ様」にはカディンチェラです。
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