『ブータン館 BHUTAN-KHANG』トップページへ    1999年8月

  

   

 

1999 夏 

“ドル爺”と“のろ亀”と“吉さま”のブータン・ダージリン旅日記

 

はじめに

なんと、この旅はブータンからダージリンへまわる団体旅行にもぐりこむことになりました。

   ドル爺・のろ亀コンビにしては始動が遅く、自分達の旅程を組み立てる時間もなく、潜り込みをきめるも、そこは・・・・・

   突込みと写真担当の のろ亀です。よろしく。

しかも「“ブータン”のみフリーツアー」というややこしい注文の旅なのである。

   この件の技術的種明かしはまた後ほど(笑)

しかも、しかも、その旅行会社は、「黄色いラビット」といえば「泣く子も黙る」、もとい、「懇切丁寧、痒いところにも手が届く(届きすぎる?)」という会社なのであります。

そして、ツアーメンバーはというと平均年齢七十?才、別名「空飛ぶ老人ホーム」って、すごいですねえ。

添乗員さんってこんなことまでしてくれるの?と、久々の団体旅行にドル爺は感謝感激の涙を流すところでありました。年とったらぜひお願いね。

ゆえに「おんぶにだっこ」という、まことに気合が入っていないともいえる旅でした。

   客は空港での荷物ピックアップすらせずに、「そちらでお待ちください!」ですからね。

   「**さん!(添乗員名)、俺、次は何時、何処だっけ?」などという、顧客の(リッチというか)間の抜けた質問に、慣れた様子で「いついつ、どこどこへです」とサラッと答える添乗員。しかし、この会話は 庶民のろ亀 にはちょっとショックでした。

 

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8月15日

久しぶりの団体旅行の一員になる。すべておまかせはやっぱり楽です。

12:30 成田発、エア・インディア。(むかし?は「エア・インチキ」なんていって御免なさい。快適でした)

ニューデリー着。ここは緑濃き、この季節は真夏ではない。日曜日のためか人出は少ない。

Merdien Hotel着。りっぱなホテルはどうも落ち着かない。

本日4食目を食らう。

 

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8月16日

6時起床。うっすらともやのかかったニューデリーの朝。太陽が昇る。朝シャン。

 

8時ホテル出発。きょうは独立記念日。空港はテロに対する厳戒態勢。カメラ、電池を預ける(とりあげられる) 早くDruk Airに乗ってしまおう。

「ゴ」は着てないがブータン人がいた。

11時定刻、ブータンへ向けて離陸。

 

1.5時間でネパール・カトマンズ着。

7年ぶりに、機内からチラッと見えたカトマンズ市街は家が増えたなという感じ。8月という時節柄、緑も鮮やかで、明るい町並みに見える。(カトマンズに夏に来たことはない)

カトマンズから満席になる。

マウンテンフライトに入るが、ヒマラヤはほとんど見えず。わずかに見えた高峰は?

 

一時間でブータンの山並みが見えてくる。快晴のパロへ到着。

空港ビルが大きく、デンと建っていた。大きい、大きい。いままでが小さかったからでもあるが。ベルトコンベアーもできていたが、動いてなかった。

外へ出るとブータン人K氏、ガイドJ氏。やはり「ゴ」を着た姿はきりっとしている。

 

団体旅行はいきなり観光へ。くっついていれば楽だけど、慣れないもので・・・。

パロの街のにぎわい。豊かな稲田。溢れるパロ・チュ(午前中大雨だったらしい)

ドゥゲ・ゾンへ。ほんとに久しぶりにブータンで観光客になってしまった。ジュモラリはもちろん見えず。アーミーの兵士がトレーニング中。少し緊張感。

 

キチュラカンへ

十一面千手観音が左右に、そしていぶされた本堂の奥、内陣に並ぶ大きなパドマサンババ。しばしブータンの世界に浸る。

 

夕暮れまで観光して、オラタンホテルへ。

夕食はエマダツィ、マツタケも出る。自己紹介などもして、メンバーを知る。平均年齢はいくつ?

ゆったりしたコテージ。シャワーも熱いお湯が出る。

 

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8月17日

早朝のジョモラリ展望ツアーはキャンセルし、ゆっくりする。(もちろん? われわれ3人以外の皆さんは参加してます)

8時、タクツァン僧院巡礼登山へ。(ほんとうは、ブータンに着いていきなりタクツァン行は、高度順応からもきついと思うのだが)

馬は20頭余り、しかし20人が乗り切るのは時間がかかる。乗馬は初めての人も毎回いるわけなので。

歩くよりはもちろん楽だけれど、神経を使う。馬との相性もあり、こいつは初心者とすぐ見抜かれるからだ。

幸い、ブータンでは何回か乗馬を経験したので、快調に出発。わいわい、パカパカ、やりながら、抜きつ抜かれつして、登っていく。登りはいいが、時々ある下りになるとしっかりしがみつかないと振り落とされそうになる。きのうの雨で道はドロンコ状態。11時に展望台着。

 

1998年に焼失し、仮のお堂が建っているが、やはり雰囲気が違う。展望台からの距離もこんなに近かったかしらん。

上の展望台まで行く。けっこうしんどい。10年ぶりのタクツァンはこんなにきつかったっけ。谷の反対側からの眺め。建設用のロープが張られている。一部に痛々しい焼けた痕跡が見える。もう同じ場所には建てられないのだろうか。あらためて絶壁を思う。

   ここでドル爺さんのカメラがパタッと動かなくなったのではなかったでしょうか?  

   祟りじゃ! とふざけたような記憶が?  そう言えばドル爺さんは後年のラヤ行きでもカメラがストライキを起こしましたね。

 

ロッジで昼食。汗かいた分おいしい。ビールを飲んでしまった。3000メートル近い山道でアルコールは効いた?!

帰り道は下り。行きよりは乾いていたけれど、それでも長い道。

14:30下山。膝がガクガクになる。

パロの街散策。お店が増え、きれいになった。エンポリウムもある。

早めにホテルへ戻る。きょうはゆっくり。

夕食はマツタケ食べ放題!! 焼いて、お醤油をつけて、丸ごとよし、形も味もよし。マツタケ三昧。なかなかこの時期に来なければ味わえない。

 

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8月18日

夜半に雨。途切れ途切れの睡眠。5時に目がさめ、6時に起きる。

パンとオートミールの朝食。

 

本日から亀さんと吉さまとドル爺の3人は「団体さん」と別行動になる。

   朝ご飯と泊まることだけ一緒の変則ツアーメンバー

   添乗員はしきりに「お客さまが御自分で手配なさったので・・・・」と他のメンバーの質問をかわす。面倒をかけてどうも(ペコリ)

   添乗員は「ブータン添乗は何回目?」という質問に「2,3回目、ムニャムニャ」と歯切れの悪い答え。

   とっても良く知っているが、この数年の変化が頭に入っていない様子? これはブータン本がでていない年数に合致!

   後でブータンの観光関係者に聞いてみると彼女を知っているブータン人はゼロ!  

   初ブータンだったのね、ごめんね、こんな面倒なのが混じっていて、おまけにプンツォリンまでの道路が動きのとれない状態で、予定通りにブータン出国ができるかどうか判らなくなり、ダージリンではゼネストにあい・・・・・ 

 

目的はたくさんあるが、要は、とにかく止めたいところで自由に遠慮なく車を止め、写真を撮ることができるということ、これがまずポイント。

日本語のできるブータン人ガイド(それも「私の家内が」なんて日本語を)のJさんを独占できるのもこれもオプション。

   極上ガイド氏が選んだ我々専属ドライバーは、なんとつい最近まで外務省でVIP専門のドライバーであったそうで。

 

では、では。のんびり行きましょう。新しくなったパロ病院を横目で見て、空港のニュービルディングを遠望。

道路沿いの民家(農家)の屋根に赤いトウガラシで文字が書いてあるWELLCOME!!

チュゾムには物売りが数店、店開き。

シムトカのマッシュルームセンターに寄る。JICA専門家○氏に会う。ゆっくりお話を伺いたいところだが、先を急ぐので失礼。

ティンプーには向かわず、ドチェラ(峠)方向へ。

チェックポストで軽食。いきなり観光客メニューでない、地元メニュー「ツゥクパ」

 

このメンバーのいいところはこれ。おいしいものは食べたいが、場所とか面倒なことはいわない。どこでも食べられるところで食べる。面倒なことはいわない。トウガラシのてんぷら?のようなものを食べる。

   のろ亀は衣だけ食べて、トウガラシはスタッフにお願いする。 

ドチェラは霧の中、降りずに通過。

 

プナカへ向かう道の脇で、小学生達(クラス6だそうだ)が課外授業中? 勝手にお邪魔して話をする。写真をとる。

   吉さま、えらく真剣に覗き込み、質問。 

   これがこの別働隊の利点で、各自の興味はバラバラ、でも、それをかなり満足させることができる。

   しかし、この方法の注意点はメンバー選び。誰かが何かに引っ掛かっている間、他の2人もちゃんと某かの興味対象を発見できる蓄積を持っている必要がある。

 

プナカゾンの手前、ポチューとモチューの合流点でも写真。

 

ローカルレストランでまた食事? 四人で一人前のパクシャパとエマダチツィを食べる。(ここでも、いま食べておかないと、後、食べるところがないからである)

 

次の目的はプナカから奥へ、ガサ、ラヤへ続く道を車で25分。川向こうには一面の棚田、

 

段々田んぼである。その高台に大きなチョルテンが建設中であった。NINZELGANG CHORTENという。

これは王妃の発願で、JOCV隊員のNさんが設計したものである。(後日Nさんは落慶法要に招かれ、同じく隊員であった夫であるYさんとともにここに来ている)

川にはりっぱなつり橋がかけられている。建築資材を運ぶロープウェイもある。

われわれはたんぼ道を歩いていく。まったくのあぜ道で歩きにくいことこの上ない。王様が来たことあるということだが、この道を歩いたのか?

   ええ、王様(第4代国王陛下)はちゃんと歩かれたそうですよ。

   おまけにショートカットでダダッと降りてこられて、皇太子もお供も自分だけあぜ道を歩くわけにゆかず・・・・という後日談を聞きました。

 

近くに見えたけど、歩いて50分かかる。

完全にまだ工事中であった。三層(三階)にさらに屋上があり、中はティンプーのメモリアルチョルテンのように極彩色の壁画、塑像を製作中。屋上の釈迦像にお参りする。

遠望はモチューが蛇行し、棚田が山の上まで続く。緑、緑、緑。時期的なこともあるが、美しいところだ。風水で場所を決めたというらしいが、まことにいい場所。いい風が流れている感じする。

   確かに。 私が見たブータンの棚田でもっとも美しいと思います。

 

 

ホテルはウォンディポダン手前の川べり、その名も「ドラゴン・ネスト・ホテル」 川に面したリゾートホテル。宿はツアーメンバーと一緒。

今夜はマツタケの網焼き。野菜、果物(マンゴーがうまい)、ビールうまい。

ただし腹具合悪し。

 

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8月19日 

ドラゴン・ネストの朝。川霧が立ち昇るなかなかの演出である。

きょうも別行動。

ウォンディポダンのゾンから対岸を見ると、こぎれいな集落が見える。あそこに行ってみたいというのが、事前に出した希望であった。

これだけ何度もブータンに来ている亀さんも、ここを何度も通っているドル爺も行ったことがない。普通観光客は行かないところへ行きたいのである。

「リンチェンガン」、村というより集落の名前のようである。石工、同職者の集落であるという。本道から一気に上っていくと傾斜地にその集落はある。ふだん観光客などこないところらしく、逆にこちらが好奇の目で見られた感じ。でも嫌がられた感じでもない。村は壮年の男の姿はなく、年寄りと女性と子どもしか見かけない。意外だったのは公共の部分を含めて、結構きれいに掃き清められていたこと。ネパールで同様の村を訪ねたときの汚さを思ったもので。

   我々が訪問した後で、新しく赴任されたゾンダ(県知事)がきれい好きで村の道を整備して下さったのはいいのですが、ついでに、あまりきれいでない家や無人の家を取り壊してしまったそうで、翌2000年に見た時には妙にこざっぱりしていて、あの不思議な雰囲気がなくなっていました。

 

次に訪ねたのはティンプーから来た道がプナカへの道とウォンディに分かれるあたり LOBESA・ロベッサにある NRTI(National Resources Training Institute)という学校。

実はブータン在任中ちょうど建設中だったここに来たことがある。りっぱな学校になっていた。環境保護や森林経営などの人材養成をする専門学校である。

図書館を見学。ライブラリアンはS・Yさん。蔵書2000、コンピュータ入力もしている。が、何といっても2000冊は少ない。何か手助けできないか。 本の送付を約束する。(註 後日、ブータンへ行くグループに託して洋書ダンボール一箱届けました)

   ハイ、お運びしました。

 

ドチェラでお茶する。みやげものなどを売っている。昼兼用の軽食。

 

14:00にティンプーへ戻る。Dichuベーカリーでブータンのパンを買って、ほんとの昼食。

 

あとはクラフトセンターへ寄って、日本でのフェスティバル販売用に紙製品をたくさん買う。

 

夕食は、ティンプーに戻った安心感と疲れで、きょうは軽くといいつつビールを飲むと酔って苦しくなる。何しろここは海抜2500メートル。

 

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8月20日 

きょうは一日ティンプー。観光というより、モノ集め etc.

 

仏教専門学校。小坊主多数。教室をのぞく。気が散ってはいけないので早々退散。

 

BBS・ブータン放送局。日本に来たことのあるブータン人数人と会う。

 

昼食は友人である今回とは別の旅行社K社長からのご招待。

 

午後はフリータイム。本屋めぐり。本あさり。エンポリオウムとさらにもう1軒の本屋。合計18冊を買う。

 

15時からメモリアルチョルテンにて、タシゴマンを特別に見せてもらう。この一部始終をビデオ撮りする。

   この時の様子は、『ブータン 雷龍王国への扉』p207に14枚の写真を掲載してありますので参照願います。 

 

ホテルへ戻る。荷物整理をしなくてはいけないのだが、今夜もお呼ばれ。

 

JOCVのブータン人K・Wさんのうちへ。ピックアップはもうひとりのブータン人K・Dさんが車で来てくれた。同行は「吉さま」。

 

K・Wさん宅。家族も含めブータン人多数。マツタケも用意してくれた。激辛ブータン料理にアラを飲んで、酔っ払う。日本語、英語、ゾンカが飛び交い、

いっそう酔う。

 

BBS・ブータン放送をみんなで見る。このテレビはK・Wさんが日本に来たとき買って帰ったもの。10時半お開き。みんな家が近くなんだ。ホテルまで送ってもらう。

 

荷物はすでにいっぱい。整理できない。(酔っているから→ティンプーでは酔いが速い)

 

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8月21日

6時起床。少し疲れあり。荷物とりあえずつめこんで、きょうは一日バスの旅。

他のメンバーと合流。

 

サブジバザールへ。品数が豊富に、そして品質が良くなっている。りっぱなキャベツ、キノコもたくさんある。マツタケも並んでいた。(もう当分マツタケは

いい。見たくもない)

 

8時プンツォリンへ向けて出発。車はわれわれだけ別。

 

これからが、長い、ながーい一日のはじまりであった・・・。

 

ティマラカにて早い昼食。フライドライスがおいしい。

 

ブータンウイスキーを買う。Royal Supreme whisky(赤いラベル)

 

ティマラカ・ジャネラル・ホスピタルを訪問。ここにJOCV青年海外協力隊の隊員がいるはずということで。臨床検査技師のSさんに日本食を渡す。喜んでもらえて、よかった。

 

先を急いで、チュカ。ガイドJさんの友人に発電所の中へ入れてもらう。トンネルの中までは時間がない。先を急ぐ。

 

道は霧の中。数メートル先も見えない。いつのまにか居眠り。

 

3:20 ジュンジャ村でロードブロック。先に着いたツァーグループのマイクロバスがすでに30分待ちだという。聞けばこの1キロ先で20メートル幅で崩落している。歩いて渡るのも不可という。

 

雨の中、じっと待つしかない。車内で4日間の日記を書く。

 

どうやら通過は無理らしい。さてさて先の予定は? チュカへ戻ることも検討する。

 

雨も止まないし・・・、とにかく待つ。ひたすら待つ。

 

発破の音!! ひたすら待つ。食べたり、飲んだり。

 

8:30 5時間経過。突然動き出す。対向車が格上、こちら側が後回し。

 

大分して、やっと問題部を通過。声を出したら、崩れてきそう。そーっと通過する。あちこちに車が止まって収拾がつかない。

 

渋滞を繰り返していくと、今度はさらに悪路、大雨のあと、道そのものがなくなっている危うい道を車はころがりながら、轍の跡にひっかかり、こすりながらいく。

 

12:00 深夜になってしまった。再び車が止まる。また渋滞???

 

野宿を覚悟する。少し、食べる。歯も磨いて・・・。

 

突然、いっせいに車が動き出す。カルヴァンディのチェックポストが詰まっていたのか。不気味に照らされた道をいっせいにプンツォリンへ流れ込む。

 

午前2時プンツォリン・ドゥルックホテル着。お・つ・か・れ・さ・ま。

 

急いで打ち合わせ、われわれ別行動分の精算、支払いなど今日中にやっておかなければならない。

 

3時、暑い。疲れたけど、眠れそうもない。

 

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8月22日 

朝から雨。やまず。

寝不足だけど、次の予定がある。これが団体旅行だ。行くぞ!?

8:15(以下インド時間)プンツォリン発。

プンツォリン・ゲートを越えて、ここからインド旅行になる。シリグリまではバンでS夫妻と5人組。インドの町、茶畑、平地、水たまり、激しい雨。悪路。悪路。悪路。

 

昨日までとは一日でかくも変わるものか。インドの大地の奥深さ、臭い、ひと、牛、犬。

茶畑のあと深い渓谷に入る。激しい流れ。奥の橋を渡ったとき、15年前、初めてのブータンツァーを思い出す。シリグリまでも遠い。

12:30シリグリ着。昼食。ここでブータン人ガイドU氏とはお別れ。インド側のバスに乗り換える。

道路事情が悪いため、迂回をするとのこと。80キロが150キロ??

茶畑、茶摘み、田植え。動物、平原、インドの大地。トイ・トレインのレールが見える。

 

13:50MIRIKというところでティーブレーク。登り始めか、登って尾根道のようなところか。山ではない。ヒル(Hill)なのだと。あちら側がネパール。国境で写真をとる。そのまま国境沿いに進む。丸い丘のような茶畑が見える。いつのまにか山の上を走っている。ダージリンは遠い。

 

途中いくつか街道の町を過ぎる。村を通過。

 

日が暮れる。トイ・トレインのレールに沿って走る。目指すはダージリンの灯。傾斜地に街の灯が見える。

 

ダージリン駅、ミニSL、ホテルはずっと山の、丘の上。ずっとずっと走って雨の中。

 

19:30ダージリン、ウインダメア・ホテル着Windamere Hotelは由緒あるイギリス貴族御用達。

 

ちょっと気取って、まずは夕食。きのうまでとはうって変わって?お上品にいただく。

 

バスタブに湯を満たしてゆっくり入る。洗濯もする。

 

日記を書いておしゃべりして、12時近く。明日はゼネストが予定されている。行動不可の可能性もあり。朝はゆっくりの予定。

 

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8月23日 

ホテル・ウィンダメアの朝は霧の中。

久しぶりにコンチネンタルな朝食。本場ダージリンティー。おいしい。たくさん飲む。

外はゼネスト決行中。自由行動不可。

 

10時みんなで街へ降りていく。すべてが止まっているが、特に危険なことはないようだ。

 

この街はネパール人が80%なのだとか、どおりでインドというよりネパールである。

新しいものと古いものが、清と汚が混濁の中、人々が動き回っている。お店が開いていればそれなりにおもしろいだろうが。なんせ人が歩いていない。

ダージリン駅で止まっているSL・トイ・トレインを見る。

 

午後の予定もすべてキャンセル。雨が降ってくる。

 

とりあえず3人の精算とそれぞれの成果、収集資料を見せ合う。(自慢大会である!?)

 

そのあとは、他のメンバーも一緒にリビングにてティータイム。サンドイッチ、クッキーをいただきながら、雑談。おしゃべり。

 

荷物整理。明日の予定は未定? 不確定要素が多すぎる。

 

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8月24日 

午前3:00起床。お茶だけ飲んで4:30出発。

この時期「多分見えない」としつこくいい聞かされても、一応タイガーヒルまで、カンチェンジュンガ8586mの展望に行く。ダージリンの灯が青い闇の中に浮かぶ。雲海がとりまいている。

くねくねと山道を登っていく。夜が明けるが、そこは雲の中。

6時タイガーヒル着。予想通り何も見えない。絵葉書売りのオジサンはちゃんといる。説明では「あの方角に真っ白いカンチェンジュンガが・・・。そして向こうがシッキム。こっちがブータン」と。絵葉書を買う。

 

岐路、お茶園に寄る。アッサムティーの値段はダージリンティの10分の1ということを知る。

 

バグドグラ空港は15年ぶり。1984年暮れ、初めてのブータン行以来。あのときは小さな小屋のような建物ひとつ。いまはりっぱなローカル空港です。ここで昼食。

 

インド、デリーへ向けて離陸。が、なぜか方角違いへ・・・。ゴハティに向かう。経由してデリーへ。

 

夜、タンドリチキンの店に行くが、もう十分。何もサービスいらない。最後の夜、ゆっくり風呂浴びて、パッキング。

 

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8月25日 

帰国の日。一日インド・デリー観光。

外は40度、でも慣れたのか、インドで40度といわれてもそんなもの?という感じ。でも熱風は避けて、日陰へ入れば涼しい。

クトウブ・ミナ―ル、72.5mのミナレット。フマコーン朝の赤いタージマハール。インド門。ラージ・ガートはガンジーが火葬されたところ。エンポリム、何も買わず。

空港へ。スーツケースは29キロ。本でパンパンに膨れたドル爺のスーツケースが一番重かった。ふぅー。

 

20:50機内へ。隣席のK氏と話す。旅行可能な世界190ヶ国のうち160余国を旅したとのこと。現在「年13回!」の海外旅行をしている。旅行するために家族(子供たち)とも同居せず、一軒家はやめて、鍵ひとつで出かけられるようにマンション住まい、新聞もとらないとのこと。でもひとこと「最近どこへ行っても感動しなくてね」

以上のような話を聞きながら機中泊。

 

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8月26日

眠ったか、まだ夏真っ盛りの成田着。でもインドに比べれば・・・です。

 

 

あとがき

今回参加の旅行社は、毎日私に代わって日記を書いてくれます。添乗員さんが、毎日その日の行程と簡単な日記まで手書きしたものをくれるんです。

一方ドル爺は旅のあいだ、毎日毎日空き時間を見つけては、こまめに日記を書いておりました。このネット掲載の日記「1999夏・・・」は実は2008年4月に書いております。10年もたってからです。前回(2000年の旅日記)も書きましたが、この元本はドル爺の旅日記にあります。今回も前回同様に暇にまかせて書き流しました。またまた読んでくださった「ヒマな」あなた様にカディンチェ・ラです。

「空飛ぶ老人ホーム」の仲間入りはまだまだ(はるか?)先のことと思いつつ、早く仕事なんぞやめて「そんな生活をしたい」と秘かに思うドル爺でした。

タシデレ!

 

 

 

 

         

 

         

 

         

 

         

   

  

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